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瀬戸大也はなぜ「引退を考えなかった」か? 活動停止期間がもたらした“スタミナ低下”と五輪への収穫とは
posted2021/02/09 11:00
text by
松原孝臣Takaomi Matsubara
photograph by
Kyodo News
課題が見えた一方で、それに大きく勝る収穫のある大会だった。
2月4日に開幕し、7日まで行なわれた競泳のジャパンオープンに瀬戸大也が出場した。
約2カ月半の活動停止処分が明けて、ほぼ5カ月ぶりの実戦でどのような泳ぎを見せるのか注目を集めたこの試合は、瀬戸の今後を占う上でも重要な意味を持っていた。
エントリーしたのは3種目。最初のレースとなったのは、大会初日に予選と決勝が行なわれる400m個人メドレー。ここで瀬戸は良好な結果を出す。
予選を4分14秒98、全体の2位で決勝に進むと、4分12秒57で優勝したのである。
「まだまだ練習不足です。体が全然動きませんでした」
1日置いた6日には、200mバタフライと200m個人メドレーに出場。両種目ともに全体1位で決勝に進む。
初日とは対照的に、決勝を本来の順位におさめることはできなかった。バタフライは予選の1分56秒80から1分56秒32とタイムを少し上げたものの3位。個人メドレーは予選1分59秒52から2分03秒89と大幅に落とし、決勝の8人中最下位の8位に終わった。
「まだまだ練習不足です。体が全然動きませんでした」
レースを終えて、瀬戸は語った。
たしかに体力面が本来とは異なるのは、泳ぎから伝わってきた。200m個人メドレー決勝は、得意とする最初のバタフライから動きが重く、萩野公介らに離され、背泳ぎで最下位になるとその後は泳ぎ切るのがやっと、という疲労感があった。
優勝した400m個人メドレーでも後半に追い上げられたのはスタミナが足りていなかったことにある。
活動停止期間中も練習は認められていたとはいえ、民間のプールに許可を得て泳ぐレベルだったという。本格的な練習再開は1月になってからだったし、試合の場から遠ざかった影響も大きかっただろう。
それでも収穫と言ってよい材料がいくつもある。