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オシムも認めた前田遼一の才 中山雅史、高原直泰のエッセンスを受け継いだ“デスゴール”
 

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posted2021/01/17 17:01

 オシムも認めた前田遼一の才 中山雅史、高原直泰のエッセンスを受け継いだ“デスゴール”<Number Web> photograph by J.LEAGUE

黄金期を築いた中山や高原から多くのものを学んだ前田遼一。現役を引退し、来季からジュビロ磐田U-18のコーチに就任する

<名言2>
FWにとっては結果がすべて。俺は点を取って結果を出せたことで自信を持てた。そういう自信は、どこに行っても生かされると思う。
(高原直泰/Number564号 2002年12月5日発売)

 2ステージに分かれていた2002年のJリーグ。前後期ともにジュビロ磐田が制し、史上初の完全優勝を遂げた。その原動力となったのが27試合26得点で得点王に輝いた当時23歳の高原だった。アルゼンチンの名門ボカ・ジュニアーズへのローン移籍から復帰した高原は、その年の日韓W杯直前にエコノミークラス症候群を発症し、選外に。その悔しさを晴らすかのように覚醒した。

 ストライカー高原の凄さはその万能さにある。両足・頭から放たれるダイナミックなシュートに加え、巧みなボール捌きやパスを引き出す駆け引き……子どもたちの多くが、その破壊力満点の点取り屋の姿に憧れを抱いた。

 また、技術だけではなく、その強いメンタルも魅力的だった。

「Jリーグは欧州よりレベルが低いと言われようが、結果を出せば問題ないでしょう。逆に欧州や南米から多くの外国人選手が来たけど、結果を出した選手が何人いるんだ?って思う」

 自信を確かなものにした高原はドイツ・ハンブルガーSVへ移籍。加入1年目から当時の名手として君臨していたドイツ代表GKオリバー・カーンから得点を奪うなど飛躍を遂げ、現地では「スシボンバー」の異名を付けられるほどの活躍を見せた。

沖縄でコーヒー豆栽培も

 現在、自身が立ち上げた沖縄SV(九州サッカーリーグ)で代表取締役を務める傍ら、選手としてもプレーしながらJリーグ加盟を目指している。昨年のNumberWebの取材では、沖縄SVで取り組む地域貢献の1つであるコーヒー豆栽培について熱く語ってくれた(2020年2月10日配信/https://number.bunshun.jp/articles/-/842377)。

「ドイツから日本に戻ってきて、その後は韓国のクラブにいったり、J2やJ3のクラブでもプレーしました。そうやってカテゴリーが下がってくると、より周りの応援とか支え、それに地域やスタッフとの結びつきが見えるようになってきたんですよ。<中略>ぼくの頭になんとなく農業というキーワードがあったんですが、沖縄で農業をやられている方の中に、農福連携、つまり農業と福祉を結びつけたソルファコミュニティという組織を運営していて、障がい者の方と肥料を一切使わない自然栽培に取り組んでいる人がいたんです。興味があったので自分で問い合わせをして紹介してもらい、少しずつ農業体験をさせてもらいました」

 柔らかい表情を浮かべて畑仕事をする高原だが、言葉の端には強いプライドがにじみ出る。「どこに行っても生かされる」と語る「自信」はいまも高原の原動力になっている。

【次ページ】 J1得点数は中山に次ぐ5位

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