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【貴重な1枚】18歳の美少年・マラドーナ、見たことある?「なぜ私は41年前に“神の子”を撮影できたか」 

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後藤茂仁(Number編集部)

後藤茂仁(Number編集部)Shigehito Goto

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photograph byYoshiyuki Kurai

posted2020/12/23 17:06

【貴重な1枚】18歳の美少年・マラドーナ、見たことある?「なぜ私は41年前に“神の子”を撮影できたか」<Number Web> photograph by Yoshiyuki Kurai

日本人カメラマン、倉井美行が撮影したボカ時代のマラドーナ。その倉井が撮った18歳のマラドーナとは?

「背は低いし、どちらかというとずんぐりむっくり。でも動きがとにかく速くて、弾むようにプレーする。1対1では当時から絶対に負けない。本当にいい選手だな、と思いました。観客は常に満員でしたが、彼のプレーにはいつも歓声があがっていましたね」

 大会の撮影を終えると、倉井は撮影したフイルムを握りしめ、モンテビデオの空港ではなく、隣接するマラドーナの母国・アルゼンチンのブエノスアイレスへと陸路とフェリーで向かった。

「日本にフイルムを送るのに、ブエノスアイレスの空港からのほうが早かったんです。モンテビデオからブエノスアイレスはフェリーに乗ればすぐ近くでしたので。少しでも早く、日本に彼の姿を届けたかった」

 こうして送られた18歳のマラドーナの勇姿は、当時のサッカー専門誌などを通じて日本のサッカーファンへと伝えられた。

「撮影していて飽きることがなかった」

 その南米予選から7カ月後、日本で開催された第2回ワールドユース選手権の本戦で、マラドーナを中心としたアルゼンチンは快進撃を見せる。9月7日、国立競技場で行われたソ連との決勝には5万2000人の観衆が集まり、3−1でアルゼンチンが勝利。ワールドユース初優勝を果たし、マラドーナ自身はMVPに輝いた。マラドーナにとって、これが国際大会で初のタイトル獲得だった。

 ヨーロッパを拠点にしていた倉井は、この日本開催のワールドユース選手権を撮影していない。しかしその後、マラドーナが82年にバルセロナに移籍すると、再び彼を追いかける日々が始まる。

「バルセロナ、ナポリ、セビージャ時代は常に撮影をしていました。82年、86年、90年のワールドカップも。おそらく日本人のカメラマンとしては一番多く、当時のマラドーナを撮影したと思っていますが、彼には試合ごとに顔が変わるような印象を持っています。プレーのすごさはもちろん、表情豊かで撮影していて飽きることがなかった。あの時期のマラドーナを撮影できたことは、幸せでした。周囲とぶつかることも多かったですし、いろいろな問題も起こしましたが、彼はサッカーに対しては常に真剣でした。撮影していても、試合中にふざけたり、変なことはしなかった。そういうところも素晴らしい選手でした」

発売中のNumber PLUS「永久保存版 ディエゴ・マラドーナ」には、そのほかにも貴重な写真を多数掲載。またリネカーが語る“神の手”と“5人抜き”、プラティニ、カレッカ、オシム、アルディレスらの追悼インタビュー、マラドーナ本人のインタビュー記事の再録や、名言と年表で辿る彼の60年の軌跡など、充実の記事を詰め込んだ一冊です。ぜひお手にとってご覧ください。

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