Number ExBACK NUMBER
【貴重な1枚】18歳の美少年・マラドーナ、見たことある?「なぜ私は41年前に“神の子”を撮影できたか」
posted2020/12/23 17:06
text by
後藤茂仁(Number編集部)Shigehito Goto
photograph by
Yoshiyuki Kurai
11月25日、60歳という若さで急逝したサッカー史上最高のスーパースター、ディエゴ・マラドーナ。その偉大な足跡をたどる追悼特別号、Number PLUS「永久保存版 ディエゴ・マラドーナ 1960-2020」の表紙にもなった写真は、弱冠18歳、未だ国際大会では無冠だったころの“神の子”をピッチ上で接写したものだ。いかにしてこの写真は撮られたのか。約40年前の記憶を、撮影カメラマンが回想した。
デュッセルドルフからマイアミを経由して約20時間――。ウルグアイのモンテビデオにようやく辿り着いたカメラマンの倉井美行は、日が傾きかけた街なかで急いで宿を探し始めた。
「カメラマンの友人たちからは来る前に『南米は治安が悪いから気をつけろ』と何度も言われていて。とにかく暗くなる前にホテルを見つけないと、とだけ思っていました。幸い、『サッカーを撮りに来た』と身振り手振りも交えて伝えると、宿の主人は途端に親切に対応してくれて、すぐに泊まるところは確保できました。友人たちは多分、ブラジルのイメージでそう言っていたと思うんですが、実際行ったウルグアイは、みんな親切でいい国でしたね(笑)」
NumberPLUS「永久保存版 ディエゴ・マラドーナ 1960-2020」 当時18歳のマラドーナを撮影するまでの秘話とは――?
「日本人カメラマンは自分一人でした」
1979年1月、ウルグアイで開催されたワールドユース選手権南米予選。倉井はマラドーナを撮るために、ドイツから現地へと単身飛び立った。撮影の申請はおろか、宿泊するホテルの手配も事前にはしていない。すべて現地で交渉するつもりだった。とにかく「マラドーナ」という選手を撮らないと、という思いだった。
「前年(78年)のワールドカップには出場できませんでしたが、マラドーナはそのころ既にヨーロッパでも話題になっていました。私が住んでいたドイツで売っている『キッカー』や『レキップ』みたいなサッカー新聞、雑誌の見出しにも連日、彼の名前が大きく出ていて。知り合いのドイツ人やイギリス人のカメラマンもすごい選手だと、よく話していました」