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「兄貴はバカだから東大に行った」の真意とは 愛弟子・中村太地七段だからこそ知る“師匠・米長邦雄”【命日】 

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中村太地

中村太地Taichi Nakamura

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photograph byKoji Kakuta/Takuya Sugiyama

posted2020/12/18 11:04

「兄貴はバカだから東大に行った」の真意とは 愛弟子・中村太地七段だからこそ知る“師匠・米長邦雄”【命日】<Number Web> photograph by Koji Kakuta/Takuya Sugiyama

米長邦雄永世棋聖(左)の弟子である中村太地七段。貴重な経験をした1人である

 立場や年齢は関係なく、将棋に打ち込み、将棋への思いがある人々に対して全く垣根なく接していた方でしたね。それは対局などにおいても共通……むしろさらに強かったです。

 師匠が盤面を向いている時はまさに近づきがたい感じでしたし、全盛期の米長-中原(誠十六世名人)の対局を見た諸先輩方は「雰囲気や恐ろしさが違った」と口々に言います。そういった意味では世間に見せる顔と、棋士として見せる顔を使い分けていたのかな、という印象です。

49歳11カ月にしての新名人と、その秘話

 年齢で分け隔てない姿勢は、師匠が持つ“ある記録”と関連します。第51期名人戦で中原十六世名人に4連勝し、最高齢となる49歳11カ月で名人を獲得しました。50歳にして名人に在位した唯一の棋士となったわけですが、この年齢にして当時飛ぶ鳥を落とす勢いだった「羽生世代」に学ぼうと、研究会に自ら足を運んで新たな戦法を学んだことは語り草です。

 将棋界は実力の世界です。課題が見つかれば実力のある年下の棋士に学ぶというのは近道の一つですが、そこはプライドもあるし、世代による価値観が大きく違うのでブレーキをかけてしまってもおかしくない。でもそういったことを全く気にせずに学び、自身の成長に繋げた。1人の棋士、人間としての強さを感じます。

第1回電王戦も“進取の精神”だった

 前例にとらわれずチャレンジする、という意味で最も強く印象に残っているのは――2012年の「ボンクラーズ」との第1回将棋電王戦です。今月公開される映画『AWAKE』(※2015年の電王戦FINALでの対局から着想を得たストーリー)を先日拝見しましたが、将棋とコンピューターという新時代の扉を開けたのも、当時連盟の会長を務めていた師匠が対局に応じたことがきっかけでした。

 そんな師匠ですが、2003年限りで棋士を引退していたため、私にとっては初めて間近で見る真剣勝負に臨む姿でした。そのボンクラーズ戦に対する事前準備が、とてつもない練習量だったんです。

 正直なところ、昭和の大棋士ということで、"序盤を大雑把に進めて終盤一気に勝負する"という勝手なイメージを持っていました。

 しかし、実際は違いました。

【次ページ】 ありとあらゆるアプローチで勝利しようと

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