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「兄貴はバカだから東大に行った」の真意とは 愛弟子・中村太地七段だからこそ知る“師匠・米長邦雄”【命日】
text by
中村太地Taichi Nakamura
photograph byKoji Kakuta/Takuya Sugiyama
posted2020/12/18 11:04
米長邦雄永世棋聖(左)の弟子である中村太地七段。貴重な経験をした1人である
これが他の人であれば……例えば「ここは桂馬を取れるけど、位をとられてしまうので悪い手なんだよ」という感じでアドバイスするのが普通ですが、あえて具体的な手を示すのではなく、人の頭の中に残るような言葉を選択していたのでは、と感じます。
“渡辺将棋”への興味深い言及、ユーモアとキャッチーさ
そのほかにも、若き日の渡辺(明)名人はスパッと決断よく指されるスタイルでしたが、細かい変化を突き詰めすぎて悩んでいる若手棋士には「渡辺将棋を勉強して並べてみなさい」とアドバイスをしていたことも印象に残っています。
そういうユーモアやキャッチーさを、師匠は常に意識していたのでしょう。自身のアンテナを広げるためか将棋界以外の方との交流も人一倍多かったし、冒頭に挙げた「うちの兄貴たちは……」という発言には「将棋を広めたい、棋士の凄さをもっと知ってほしい」という思いが奥底にあったと感じます。どう伝えれば、向き合っている人や世間に向けて一番インパクトがあるのか――相当に考えていたはずです。
だからなのか、日本将棋連盟の会長に再選された際の写真でダブルピースして写っていたこともありました……(笑)。
意見交換した羽生先生へも特別な思いが
ただ強調しておきたいのは、根は非常に真面目な方だったということ。会長職を務めていた頃も地道な事務、そして水面下の作業は非常に厳しくやられていました。それとともに定期的に新四段なども含めた10代20代の棋士を集めて、彼ら若手の意見を聞く会を積極的に組んでいました。
もちろん羽生(善治)九段といったトップ棋士とも意見交換されていたそうですし、今後将棋界を背負っていく次世代の棋士に何を残せるか、相当考えていたことは間違いありません。
ちなみに羽生先生に対しても、特別な思いを持っていたようです。
1988年度NHK杯での「5二銀」(※当時18歳で五段だった羽生が、加藤一二三九段相手にこの手を指すと解説者だった米長が驚きの声をあげた。最終的には羽生五段が勝利を収めた)などが有名ですが、会話しているとよく羽生先生の名前が出てきたことから、実力を誰よりも認めつつも「羽生を目標にしても、羽生を倒さないとトップにはなれないぞ」と言っていたのが印象に残っています。