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【悼む】史上最強ブラジルを葬った“死刑執行人”ロッシ、64歳の早すぎる死 王国に与えた甚大な影響とは
posted2020/12/16 11:03
text by
沢田啓明Hiroaki Sawada
photograph by
Getty Images
「1982年ワールドカップでセレソン(ブラジル代表)を葬った男が死亡」
12月9日、元イタリア代表FWパオロ・ロッシが肺がんのため64歳で亡くなった。イタリア各紙が軒並み10ページ以上の特集記事を組み、ブラジルのメディアも異例の大きさで報じた。「ブラジル中を泣かせた男」、さらには「1982年のカラスコ(死刑執行人)」といった特異な表現もあった。
ブラジルでこのような扱いを受けた外国人選手は、1950年W杯で「マラカナンの悲劇(最終戦で地元ブラジルを逆転で倒してウルグアイが優勝)」の立役者となったアルシデス・ギッジャ(2015年に88歳で死亡)以来だ。
1980年6月に就任した名将テレ・サンターナ率いるセレソンは、ジーコ、ソクラテス、ファルカン、トニーニョ・セレーゾの「黄金のカルテット」が中盤でテクニックと創造性を存分に発揮し、なおかつ両サイドバックが果敢にオーバーラップ。何点とっても飽くことなく攻め続ける超攻撃スタイルを貫いた。
1981年初めに行なわれた1982年W杯南米予選を4戦全勝で突破すると、5月に欧州遠征を敢行。8日間に合計22万人の観衆の前でイングランド、フランス、西ドイツを次々と撃破して欧州各国に衝撃を与え、1982年W杯の優勝候補筆頭と目された。
ブラジルフットボールの方向性を変えた張本人
ブラジル国内では「フッチボール・アルチ(芸術フットボール)を具現する史上最も美しいチーム」とされ、国民の誇りだった。それだけに1982年W杯でイタリアの前に敗れ去ったショックは大きく、この敗戦はその後のブラジルのフットボールの方向性まで変えたとされる。その張本人がロッシだった。
ロッシは1956年9月23日、イタリア北部のトスカーナ州プラート生まれ。小柄で華奢だったが、動きが俊敏で、インテリジェンスに富み、独特のゴールへの嗅覚の持ち主だった。
1973年、16歳にして名門ユベントスでデビューしたが、3年続けて膝を故障して手術と長期リハビリを余儀なくされた。1975年以降、他クラブへ貸し出され、1976年、ビチェンツァで頭角を現わす。