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【悼む】史上最強ブラジルを葬った“死刑執行人”ロッシ、64歳の早すぎる死 王国に与えた甚大な影響とは 

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沢田啓明

沢田啓明Hiroaki Sawada

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posted2020/12/16 11:03

【悼む】史上最強ブラジルを葬った“死刑執行人”ロッシ、64歳の早すぎる死 王国に与えた甚大な影響とは<Number Web> photograph by Getty Images

当時「黄金の中盤」と称されたセレソンをハットトリックで撃破したパオロ・ロッシ。これぞイタリアのストライカーという佇まいだった

 その翌年、イタリア代表に初招集されて1978年W杯に出場し、全7試合でプレーしてチーム最多の3得点をあげた。

 1979-80シーズンに期限付き移籍したペルージャでも好調だった。ところが、このシーズンのセリエAの試合で八百長に関与した疑いをかけられ、1980年4月から3年間の出場停止処分を科せられる。1982年W杯には出場できないはずだったが、処分が2年に軽減されて1982年4月に復帰。イタリア代表のエンツォ・ベアルゾット監督は復帰後3試合出場しただけのロッシをW杯出場メンバーに選んだが、国内では異論が多かった。

W杯序盤戦、不調のロッシに酷評の嵐だった

 イタリアは1次リーグで低調で、ポーランド、ペルー、カメルーンといずれも引き分け。グループ首位はポーランドで、イタリアとカメルーンが3引き分けで勝ち点で並んだが、総得点が1だけ上回ったイタリアが辛うじてグループ2位となって勝ち上がった。

 エースストライカーのロッシも長期間のブランクが響いて不調のどん底にあり、それがイタリア苦戦の要因の1つだった。国内メディアは、1次リーグでのアズーリ(イタリア代表)の試合内容を酷評。ベアルゾット監督や主力選手の個人攻撃まで始めると、選手たちは自国メディアの取材をボイコットした。

若きマラドーナ擁するアルゼンチンとの戦い

 一方、ブラジルは順調そのものだった。1次リーグでソ連、スコットランド、ニュージーランドを撃破してグループを首位で突破。ブラジル国民の期待をさらに高め、地元スペインをはじめとする欧州のファンをも魅了した。

 当時のW杯は3カ国ずつ4グループに分かれて戦う2次リーグが設けられていた。そこで調子の上がらないイタリア、優勝候補の一番手で人気抜群のブラジル、天才マラドーナを擁する前回大会優勝のアルゼンチンが同組となった。大方の予想はアルゼンチンとブラジルの一騎打ちである。イタリアが勝ち上がると予想する者はほとんどいなかった。

 6月29日、イタリアとアルゼンチンが対戦する。両国合わせて39のファウルと5枚のイエローカードが飛び交う激しい試合となったが、後半、イタリアがMFマルコ・タルデリと左SBアントニオ・カブリーニの得点で先行。アルゼンチンの反撃を1点に抑えて2-1で勝った。

 その3日後、ブラジルは手負いのアルゼンチンと対戦する。

 MFジーコ、CFセルジーニョらの得点で優位に試合を進める。21歳のマラドーナは激しいマークに苛立ち、ブラジルのMFバチスタの腹を蹴ってレッドカードと自爆。ブラジルが3-1で快勝した。

【次ページ】 隙をついてゴールを陥れたロッシ

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