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戦力外通告のウラ側「兄に電話して泣きました」 ドラ1、ハンカチ世代…3人のプロ野球選手が語る“クビの瞬間”
posted2020/12/07 11:00
text by
氏原英明Hideaki Ujihara
photograph by
KYODO
新型コロナウイルスの感染拡大による緊急事態宣言が発令されていた頃、懐かしい人物からの電話があった。
「氏原さん、マスクあるんすか。大阪のドンキにマスクありますよ。で、人が溢れてます(笑)」
2006年夏の大阪大会1回戦で、参考記録ながら準完全試合を達成。同年の高校生ドラフトでヤクルトから4位指名を受けた山田弘喜だった。田中将大(ヤンキース)、前田健太(ツインズ)、坂本勇人(巨人)と同期の、いわゆる“ハンカチ世代”である。
甲子園の出場はないが、2006年のヤクルト入りの会見で持ち球を聞かれての「ダイナマイトスライダー」という返答が一時話題となった。だが一軍で登板することなく2010年のオフに戦力外通告を受けて今は大阪で真面目に働いている。
筆者の取材活動が高校生などのアマチュア選手からプロまでを範囲としているため、こうした選手から学ぶことはたくさんある。高校時代から知っていて、スーパースターになる選手がいる一方、山田のように、日のあたらなかった選手との“その後”の交流は野球界の持つ意味を知る機会となっている。
「今はヤクルトの時より、給料良いんで…」
球団からの「戦力外通告」とは残酷なものだ。体はまだ元気であっても、その力を発揮する場所が失われてしまう。あと少し。もう1年。言い出せばキリはないが、その場が欲しいと誰もが思う。
とはいえ、通告を受ける選手はおおよそ、その空気を感じるという。
山田の場合で言うと、2010年、一軍の監督だった高田繁氏が成績不振により休養。その後からファームでの登板機会が激減した。高田監督の秘蔵っ子というわけではなかったが、3年目の秋季キャンプでは初めて一軍メンバー入り、大阪出身であることで高田監督からはよく声をかけられたそうだ。