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戦力外通告のウラ側「兄に電話して泣きました」 ドラ1、ハンカチ世代…3人のプロ野球選手が語る“クビの瞬間”
text by
氏原英明Hideaki Ujihara
photograph byKYODO
posted2020/12/07 11:00
2008年、ドラ1で阪神入りした蕭一傑。12年オフに戦力外通告を受ける
その思いは結果へと繋がる。日本球団からの声はかからなかったものの、トライアウトを視察したインディアンスからオファーを受けた。「やり切ったという達成感がなかった」村田は海を渡ることを決断。そこから6年のマイナー生活を送ったのである。
実績があるわけでも、年齢が若いわけでもないのに、6年も過酷なマイナーでプレーした。言葉の壁、長距離のバス移動、日本以上の厳しい競争社会……しかし、その中でも2015年には3Aで最多勝。メジャー初登板も実現している。何より6年のうち5年間はオフに中南米のパナマやベネズエラのウインターリーグに参加したという経験は、日本人選手では稀有だろう。
「向こうに行けば何とかなるんですよ」
言葉は?土地勘は?食事は?など疑問をいくつかぶつけてみたが、さらっと言ってのける村田からはバイタリティーと何にも屈しない精神の強さを感じずにはいられなかった。大学時代からその人当たりの良さを知っていただけに、その身一つで勝負をしにいく姿勢には野球の技術とは別の人間的成長を見たものだ。
「球団からすれば外国人と一緒ですよ」
2017年から村田は日本野球界に復帰した。
普通ならばローテーションの一角を務めてもおかしくないが、栗山監督の奇想天外な投手起用の“駒”として欠かせない存在となった。オープナーの後を任せられるリリーバーから谷間を埋める先発まで、顔色一つ変えずに、マウンドに立ってきた。