マスクの窓から野球を見ればBACK NUMBER
【都市対抗野球】活動終了の三菱重工広島、「野球部」という配属先を卒業する“ある選手”
text by
安倍昌彦Masahiko Abe
photograph byKYODO
posted2020/12/01 18:40
都市対抗2回戦で敗れ、創部75年の活動を終える三菱重工広島
“唯一の晴れ舞台”
都市対抗は社会人野球界で唯一の“晴れ舞台”といってよい。
全国大会はほかにもあるが、チームが、企業が、地域が、この時!と目指すのは、やはり都市対抗である。
応援に集まるのは、職場の仲間たちばかりではない。息子の晴れ舞台を見に親が郷里から上京し、そして夫の、また父親のプレーを楽しみに家族が、東京ドームのスタンドにやって来る。
久しぶりに顔を合わせる高校、大学のチームメイトと再会を喜び、家族を持つ選手たちはまだ幼いわが子を抱き上げながら、晴れ晴れとした笑顔で勝利を伝え、その向こうで、ご両親らしい初老のお二人が、やはり笑顔でそんな様子を見守っている。
今年は観客数制限もあり、そんな光景を見るのも難しくなってしまった。
「社会人野球」で9年勤め上げた価値
社会人野球の選手たちは、その多くが、入社の時点で「野球部」に配属される。
辞令には決して「野球部配属を命ずる」とは書かれていないが、野球をすることで会社の士気を上げ、その部活動が報道されることで会社の存在をPRして、企業活動に貢献する。
そして、何年かの野球部活動を終えると、今度はスーツや作業着に着替えて、一般の社員としての職務に就く。
日本には、「勤め上げる」という職業文化があるように思う。
一つのことと地道にコツコツ向き合い、それを自らの「仕事」として一定の年月、その任を全うする。
都市対抗野球には、「10年連続出場表彰」という制度があり、今年の大会でも、試合前にその表彰が行われるが、そこでその労を讃えられる選手たちなどは、まさに「社会人野球を勤め上げた選手たち」の代表格といえよう。
激烈な予選を勝ち抜いて都市対抗野球の東京ドームにやって来るチームは、社会人球界でも第一線のチームだ。
毎年、学生野球や高校野球から高い素質のルーキーが何人も加わる中で、チームでの“立ち位置”をキープしながら活躍し続けるのは、ある意味、プロ野球の「10年選手」に近い尊い実績ではないか……と、私は考えている。
三菱重工広島・渕上も、9年間の現役生活を卒業しようとしている。
じつは所属する三菱重工広島も系列チームの再編によって、今季野球部として“終幕”をむかえる。都市対抗2回戦で日本新薬に敗れ、残念ながら創部75年の活動を終えることになった。
バリバリのレギュラーではなかったが、社会人の第一線で9年間……十分に、「社会人野球」を勤め上げた渕上。ユニフォームを脱ぎ、これから第2の人生で「勝負」をする彼を応援したい。