マスクの窓から野球を見ればBACK NUMBER
「なぜ2年で…?」プロ野球の“不可解な”戦力外通告 「とりあえず“ハイッ!”」ができずクビに?
text by
安倍昌彦Masahiko Abe
photograph byGetty Images
posted2020/11/25 17:04
「なぜ2年で?」将来有望な選手がクビになった理由は? ※写真はイメージ
そこで一度、目からウロコが落ちたのを覚えている。
「そのことを忘れて、頭ごなしに『こう投げろ』とか『こう打て』と言っても、相手の心には届かんのですよ。それで、ずいぶん失敗したんです、僕は」
指導者に求められる“めんどくさい”こと
そこで、中村監督はどうしたか。
「野球に関しては、10年選手のベテランたちですから、彼らなりに信ずるところがあり、彼らなりの野球理論があって、自分のやり方が正しいと思って野球をやってるわけなんで、いきなり『こう打て』だと、彼らの信ずるところを全否定された気分になって、次に来るのは、指導者に対する不信感なんですね」
まず、問いかけることから「指導」を始めたという。
見識だと思った。
たとえば、投げる動作ひとつを取っても、「どうして、そう投げるのか?」という問いに対して、選手、指導者が語り合った上での理解の一致があって初めて、「納得」というものが生まれよう。
人間、何かを実行する上で、「納得」ほどその強烈な原動力になるものはない。納得し合っているからこそ、双方向の「信頼」も同時に根付いてくるのだろう。
語り合い、互いに納得して行動に移す……「指導」で最も時間と手間とエネルギーを費やす部分であろうし、つまり、いちばん“めんどくさい”要素のはずだ。
立派な野球理論を持ち、それを流暢に披露される指導者の方は何人もいらっしゃるが、人の話に最後まで耳を貸してくださる方は、私の知るかぎり、そうたくさんはおられない。
「人に教えるのが仕事なんだ」と、指導者の方たちに怒られそうだ。だが話し上手であることと同等か、もしかしたらそれ以上に、「聞き上手」であることが、実は相手の心に届き、その心を揺さぶれる本当の意味の「指導」の端緒になるのではないか。
昔のように、子供なら誰でも「野球」を志す時代は、残念ながら去ったようだ。
この先は、野球を志す限られた人数の子供たちを、一丁前の「球児」に育てねばならない時代。だからこそ、めんどくさいことに、時間と手間をかける。人数が減れば、そのぶん、そうした余裕も生まれてくるのではないか。
いつの頃からか、ずっとそんな気がしている。