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朝ドラ『エール』古関裕而が「オリンピック・マーチ」に取り入れた「日本的」な“超有名曲”とは
text by
大石始Hajime Oishi
photograph byKyodo News
posted2020/11/23 06:00
数々のスポーツ音楽を遺した古関裕而の生涯をモデルにしたNHK連続テレビ小説『エール』はいよいよ最終週をむかえた
1940年大会でも多くの楽曲が憂き目に…
開催決定直後の1936年9月には、東京混声合唱団など16の合唱団による大日本聯合合唱団が組織されている。同年8月のベルリン大会では2000人の合唱が披露されたが、どうやらそれに対抗するものでもあったようだ。また、日本演奏家連盟と現代作曲家連盟、新交響楽団(現在のNHK交響楽団)が連帯し、「五輪開催国にふさわしく欧米追随ではない新国民音楽の樹立をめざす」(夫馬信一『幻の東京五輪・万博 1940』)動きもあったようだ。
また、1964年度同様、オリンピック開催にあてた便乗商法も見られた。1936年には人気コメディアンの古川緑波(ロッパ)一座が日比谷有楽座で「東京オリムピック」と銘打ったスポーツ・バラエティーを上演。同名のレコードも発売された。また、浅草松竹座では榎本健一一座が「オリムピック運動具店」と題された喜劇を上演したほか、同じ年には「来る来るオリンピック」という子供向けの歌もテイチクから発売されている。オリンピックの返上により、1940年の東京大会に向けたそうした楽曲・作品も忘れ去られることになった。
2020年アレンジの「東京五輪音頭」はどうなるか
橋本一夫『幻の東京オリンピック』では1940年の東京大会について「古代ギリシャにおけるオリンピアの競技は、神々への『祝祭』として行われたが、それにならって言えば、近代オリンピックの第十二回大会は『空白の祝祭』とでもいうべきものであった」と書いている。
その表現に倣えば、2020年の東京オリンピックもまた、新型コロナウイルスの感染拡大によって不本意なかたちを余儀なくされた「空白の祝祭」だったといえよう。この夏に向けて歌詞と振り付けを2020年仕様にアレンジした「東京五輪音頭」が作られ、数年前より都内各所の盆踊りで積極的にプロモーションされてきたが、その「東京五輪音頭」も「空白の祝祭」のなか行き場を失っている。
1964年の東京オリンピックは幻に終わった1940年のリベンジという側面を持っていたが、2021年、東京オリンピックはリベンジを果たすことができるのだろうか。はたまた1940年の返上を繰り返すのだろうか。天国の古関も見守っているに違いない。
参考文献:
辻田真佐憲『古関裕而の昭和史 国民を背負った作曲家』(文春新書)
『古関裕而と野球』(古関裕而記念館)
野地秩嘉『TOKYOオリンピック物語』(小学館文庫)
刑部芳則『古関裕而 流行作曲家と激動の昭和』(中公新書)
浜田幸絵『〈東京オリンピック〉の誕生 一九四〇年から二〇二〇年へ』(吉川弘文館)
夫馬信一『幻の東京五輪・万博 1940』(原書房)
橋本一夫『幻の東京オリンピック 1940年大会 招致から返上まで』(講談社学術文庫)