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西武から戦力外通告→クリケット選手に 40歳木村昇吾の夢は「10億円プレーヤーになる!」

posted2020/11/25 17:00

 
西武から戦力外通告→クリケット選手に 40歳木村昇吾の夢は「10億円プレーヤーになる!」<Number Web> photograph by Takuya Sugiyama

木村は2003年、横浜ベイスターズ入団。広島を経て西武に移籍。2017年に戦力外通告を受けて引退、クリケットの道へ

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二宮寿朗

二宮寿朗Toshio Ninomiya

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Takuya Sugiyama

 横浜、広島、西武の3球団で、15年間プロ野球選手として活躍した木村昇吾選手。2017年に西武から戦力外通告を受けたあと、クリケット選手に転じました。コロナ禍のなかでも“世界最高峰”を目指してプレーする木村選手に、セカンドキャリアについて語ってもらいました。(全2回の前編です。後編はこちら

 秋晴れの河川敷。渡良瀬川の水が気持ち良さそうに流れている。

 ゴンッ。

 ヤナギの木からつくられたクリケットバットから弾かれた硬いボールは何度も草むらに放り込まれる。赤を基調としたユニフォーム、背番号66。広島カープ時代がどことなくかぶる。

 木村昇吾、40歳。

 プロ野球選手を辞めてクリケットの世界に飛び込んでから3年が経とうとしている。

「本当は100点取りたかったんですけどね(笑)」

「ワイヴァーンズクリケットクラブ」はこの日、彼の活躍もあってジャパンカップ西関東大会を制した。木村はチームトップの87得点(runs)を叩き出している。コロナ禍でイレギュラーとなった今シーズン最後の公式戦を優勝で締めくくった。

 この日のルールは各チーム120球ずつのT20形式が採用され、規定投球数に達するか10アウトで交代になる。木村はコツコツ当てて細かく点数を稼ぎながら、甘い球が来ればバウンダリー(境界線)をノーバウンドでオーバーして得る6点を積み上げていった。

「本当は100点取りたかったんですけどね(笑)。0点が続くと焦ってしまうんですが、1点でも取っておくと逆にボウラー(投手)にプレッシャーを掛けられる。そして甘い球をしっかり打てるようにしておく。クリケットに転向して3年目でようやく手応えというか、こうやればいいんじゃないかっていうのが僕のなかで見えてきています。

 今年はスリランカから新型コロナウイルスの影響によってバタバタで日本に帰ってきたり、練習するのも難しい状況だったり、いろいろと大変でした。でもこうやって手応えをつかめたことには“ヨシヨシ”と思っています」

 プレーしない間も素振りをしたり、チームメイトと戦術や打ち方の技術について語り合ったり、クリケットに対する情熱の傾け方がハンパないことは理解できる。

【次ページ】 西武ライオンズでの2年目に戦力外通告

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