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「“1995年の長州力”が大嫌い」田村潔司はなぜUWF再興を目指すのか 鮮烈に残る『10.9』の記憶
 

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堀江ガンツ

堀江ガンツGantz Horie

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posted2020/10/12 17:01

「“1995年の長州力”が大嫌い」田村潔司はなぜUWF再興を目指すのか 鮮烈に残る『10.9』の記憶<Number Web> photograph by AFLO

1991年のUWFインターナショナル旗揚げ戦での田村潔司。長い時を経てUWFの“再興”を目指す

UWFスタイルの“プロレス”は、姿を消した

 95年の10.9ドームのメインで、Uインターのエース高田延彦が新日本の武藤敬司に足4の字固めで敗れたあと、団体の求心力は急激に低下し、Uインターは翌96年12月に解散。その後、U系の主力選手たちは闘いの舞台をPRIDEをはじめとした総合格闘技へと移していき、UWFスタイルの“プロレス”は、事実上姿を消した。

 田村自身、2000年代前半には総合格闘技DEEPの佐伯繁代表協力のもと、『U-STYLE』というUWFスタイルの団体を立ち上げ、Uの再興をテーマに後楽園ホールやディファ有明を中心に定期的に興行を続けていたが、いつの間にか立ち消えに。

 2005年11月にはPRIDEを主催するDSEと組んで、有明コロシアムで『U-STYLE Axis』というビッグマッチを開催。メインは田村潔司が、元UFCヘビー級王者で当時、新日本プロレス所属だったジョシュ・バーネットと対戦するという好カードが実現したが、興行的には失敗に終わっている。

 総合格闘技人気が絶頂を迎えていたあの時代、UWFスタイルのプロレスはすでに過去のものになっていたのだ。

アピール力の弱い若手選手を起用する狙い

 その後、2011年と2013年に元Uインターの金原弘光が主催したUWF系同窓会的興行『U-SPIRITS』や、2015年の安生洋二引退興行が後楽園ホールを満員にしたことがあったが、これは「プロレスリング・マスターズ」のUWF版ともいうべき、かつてのファンのノスタルジーに訴えたもの。

 近年、UWF関連書籍が次々と出版されるなど、オールドファンにUは根強い人気を誇るが、それはあくまで過去の真実への興味。現在のニーズとは別物だ。

 ましてや今回のGLEATは、船木誠勝の出場こそあるものの、UWFの闘いを最も体現する田村自身の選手としての出場はない。UWFルールの試合を行う中心選手は、元WRESTLE-1所属で、今年GLEAT所属となった伊藤貴則と渡辺壮馬という若手選手ふたり。これでは、かつてのUWFファンへのアピール力があまりにも弱く感じるが、それこそが田村とGLEATの狙いなのだろう。

 GLEATからは、ノスタルジーとして過去のUWFを振り返るのではなく、今のプロレスファンに対してUWFスタイルという格闘プロレスをプレゼンしていくという姿勢が感じられるのだ。

【次ページ】 女子選手によるUWFルールの試合も

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