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「“1995年の長州力”が大嫌い」田村潔司はなぜUWF再興を目指すのか 鮮烈に残る『10.9』の記憶
posted2020/10/12 17:01
text by
堀江ガンツGantz Horie
photograph by
AFLO
10月15日、後楽園ホールでプロレスの新団体『GLEAT(グレイト)』が旗揚げされる。
GLEATは昨年までプロレスリング・ノアの親会社だった広告代理店リデットエンターテインメントが母体となり、UWFインターナショナル、リングス、PRIDEなどで活躍した田村潔司がエグゼクティブディレクターに就任。さらにチーフ戦略オフィサーにNOSAWA論外、チーフテクニカルオフィサーにカズ・ハヤシ、そしてオブザーバーには長州力も名を連ねている。
リデット社は今年に入り、ノアの株式をIT大手サイバーエージェントに売却。プロレス事業から離れていたが、昨年から同社の社外取締役&エグゼクティブディレクターを務めていた田村を中心に、あらためて独自の団体を設立した格好だ。
事実上のプロデューサーである田村潔司は、今回GLEATに参加した一番の理由として、「UWFスタイル、格闘プロレスの試合をプロデュースし、それを観てもらいたい」と語っている。
一度もロープに飛んだことがない生粋のU戦士
「UWF」に関しては、今となってはあらためて説明が必要だろう。UWFとは、1984年に設立され、総合格闘技・修斗創設者でもある初代タイガーマスクの佐山サトルや、前田日明、藤原喜明らによって、キックと関節技を中心とした「格闘プロレス」を展開した伝説のプロレス団体。
その活動は資金難もあり1年半という短い期間で終わってしまったものの、その後、新日本プロレスとの業務提携期間を経て、88年に前田日明、高田延彦が中心となって新生UWFとして再旗揚げすると、「従来のプロレスとは一線を画す、新しいプロレス」として大ブレイク。社会現象と呼ばれるほどのブームを巻き起こし、現在の総合格闘技へと発展していく礎を作った。
田村はそのブームの絶頂期、新生UWF新人第1号選手として入門し、デビュー。以来、Uインター、リングスとUWF系団体を渡り歩き、Uインター所属時代は、95年10月9日に東京ドームで行われた新日本プロレスとの全面対抗戦をただ一人拒否。今日まで、頑なに“U”にこだわり続けてきた生粋のU戦士だ。キャリア30年を超える大ベテランで、一度もロープに飛んだことがないプロレスラーは、世界広しといえど田村潔司だけだろう。
それだけに「UWFスタイル」を再興させたいという思いは誰よりも強い。ただ、それは困難な作業になることも予想される。