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濱田太貴、青木宣親、山田哲人の初回先頭から3連弾! 25年前、同じ快挙が“スルー”された意外な理由とは?
text by
小西斗真Toma Konishi
photograph byKyodo News
posted2020/09/24 11:50
初回先頭打者から3者連続のホームランを放った山田哲人。広島の中村も青ざめる25年ぶりの大記録だ
打たれた方もたまったものじゃない
(4)1995年10月1日(ナゴヤ球場) 打たれた米正秀は、ルーキーだった。この年の7月に、同じ中日から生涯で1度きりの完投を完封勝利で飾っているが、2ヶ月半後には打ち砕かれたわけだ。
始まりは3代目ミスタードラゴンズこと立浪和義。2球目のストレートをとらえ、右翼スタンドに11号ソロを運んだ。2番は「がに股打法」で知られる種田仁がやはり2球目のカーブを左翼スタンドに打ち込んだ。3番は松井達徳。「変化球を待っていた」ためストレートに差し込まれたが、高く上がった打球は予想以上に飛んだ。ふらふらと左翼スタンドまで届き、本人も「まさか入るとは」と目を丸くした。この2年ぶり6本目の本塁打が、生涯ラストアーチともなった。
「(ヤクルトの快挙当日)スポーツニュースに出演していたときに、テレビ局の方から僕たち以来ですよと教えてもらったんですが、まったく覚えてなかったです(笑)。詳しく聞けば、消化試合だったんですね。もちろん米という投手は覚えていますが、それにしてもいきなり3連発とは……。打たれた方もたまったものじゃないですね」
共通点は日本が暗く沈んだ年であること
立浪氏の記憶には残っていないナゴヤ球場の試合から、25年ぶり。新型コロナで苦しむ「2020」と同じように「1995」も地下鉄サリン事件や阪神淡路大震災があり、日本が暗く沈んだ年だった。少々強引ではあるが、他にもいくつかの共通点は見つかった。「1995」の中日は50勝80敗で、優勝したヤクルトに32ゲーム差もつけられ、5位に沈んだ。
この3連発が出た10月はシーズンも残りわずかで、すでに高木守道監督の休養に続き、徳武定祐監督代行まで解任。翌シーズンから星野仙一監督の復帰は既定路線であり、その意を汲んだ島野育夫がさらに代行するという異常事態であった。
このため、相手の横浜ともども選手起用も翌シーズンを見据えたものにシフトしており、試合の緊張感はさほどでもなかったことが想像できる。今回のヤクルト、広島も下位に低迷しており、濱田の1番抜擢など思い切った戦いができる素地がある。そして、そんなチーム状態ゆえなのか、どちらも大苦戦している。この試合で8対1の9回二死から5点を取られたヤクルトのように、中日は序盤で計5発放ち、7対1の大量リードから、最後は1点差で辛くも逃げ切っている。