“ユース教授”のサッカージャーナルBACK NUMBER
筑波大DF角田涼太朗、Jオファー殺到の希少価値と葛藤。「どのクラブを選んでも間違いはない」
text by
安藤隆人Takahito Ando
photograph byTakahito Ando
posted2020/09/08 08:00
Jクラブの多くが注目する筑波大DF角田涼太朗(3年)。前橋育英高時代には全国制覇に貢献している。
「客観視」できるようになった。
「筑波大には他では経験できないものがあると確信しています。ただサッカーをやっているだけではなくて、サッカーの戦術面や思考の面で自分自身をより論理的に捉えられるようになった。3年間ずっと編集してもらった自分のプレーの映像を見て、なぜその現象が起こったのか、どう対応すればよかったかなど、GPSデータなどと照らし合わせながら、より自分のプレーを客観視できるようになったんです。
フィットネスに関しても、たとえば大学1年の時に、陸上部のスタッフの方に走り方や足の運び方、上半身の使い方など、論理的かつ実践的に教えてもらったことで、スピードや身体操作のレベルが上がった実感があります」
高校での活躍を見ればプロへ進む選択肢は現実的なものであった。前橋育英時代の同期であるDF松田陸(ガンバ大阪)、渡邊泰基(ツエーゲン金沢)は高卒でプロの道に進んだ。角田自身もJ2の2クラブから正式オファーが届いていたが、筑波大進学を選択している。
高卒プロは「ビジョンが見えなかった」
「高卒でプロの世界でやっていくビジョンが見えなかったんです。プロにはなりたいと思っていたのですが、パッと目の前に道が開いたときに、高卒でプロに進んで行って花を咲かせずに志半ばの選手をたくさん見ていたし、『そのまま(プロの話に)飛びついていいのか』と思ってしまったんです。もし僕がFWやアタッカーの選手だったら、迷わずプロを選んでいたと思います。ただCBという、知識と経験が必要で、若手がパッと出て勝負できるポジションではないからこそ、慎重に自分がきちんと知識と経験が積める場所でサッカーをしたいと思ったんです。
(筑波大の)小井土正亮監督からも、『サッカーでお金もらうことと、Jリーグでプレーできること以外は、(Jクラブでなく)筑波大でもできるよ』と言われたんです。その一言で気持ちが固まりました」
その決断が間違いではなかったとすぐにわかった。多角的なサッカーへのアプローチに加え、ともにプレーした「選手たちにも恵まれていた」。