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将棋の感想戦文化がもしスポーツ界にあったら……。マリーと激闘、西岡良仁の「自戦記」を読みたい。
posted2020/09/05 11:50
text by
井山夏生Natsuo Iyama
photograph by
Getty Images
全米オープンの1回戦。西岡良仁は、元世界ナンバー1のアンディ・マリーをぎりぎりまで追い詰めた。スコアは6-4、6-4、6-7、6-7、4-6。
試合時間は4時間間30分を越え、第4セットには西岡のマッチポイントもあった大熱戦。長期離脱から復帰したマリーが「僕の生涯でも一番ハードだった」と語ったこの試合、西岡は勝ち損なったのか? それとも逆転負けは必然だったのか?
「試合勘がまだない」という西岡の言葉をもっと聞きたい。世界ランキング49位の彼自身にしかわからない戦いの心理を聞きたい……僕は心からそう思った。
テニスには「自戦記」を書く文化はない。
テニス専門誌の編集長時代に何度かトライしたが実現しなかった企画がある。
それが選手本人による「自戦記」の掲載だ。例えば、全日本選手権の決勝。流れを決めた場面のあのときの作戦や心情を文章にしてほしい、と依頼するのだが、ただの一度も叶わなかった。
そういう文化がテニスにはない。他の多くのスポーツでもそうだが、日本のスポーツ界には「話すから書いてください」。そういう体質が根底にあるような気がする。
だが、「自戦記」は将棋の世界ではごくごく一般的なもので、それが抜群に面白い。ターニングポイントとなった局面の紹介、分析だけでなく、対局に入るまでの揺れる心や、流れを掴んだ、または失った瞬間の歓喜や絶望まで書き込まれる。そうしたヒリヒリとした心理状態の描写がなぜか棋士たちはうまいのだ。
1対1で勝敗を競うテニスと将棋は、対戦(対局)中に誰の助けも借りられない、という点で共通している。先の展開をつねに考える、相手が嫌がることをする、という点も似ている。
それに対戦相手との実力差はつねにわずか。差はわずかだが、その微妙な差が勝敗に大きく影響する。棋士はそのわずかな差にこだわる。それはテニス選手の場合よりも顕著だ。