月刊スポーツ新聞時評BACK NUMBER
大坂なおみ棄権の記事を読んで。
おじさんアップデートの分岐点。
text by
プチ鹿島Petit Kashima
photograph byUSA TODAY Sports/REUTERS/AFLO
posted2020/09/01 07:00
黒人男性銃撃事件への抗議の想いをSNSで発信した大坂なおみ。
「アップデート」が必要だと思う。
コラム冒頭でこんなことを書いていた。
「典型的な日本人のテニス担当おじさん記者は、ない知恵を絞って考えてみた。」
これ、「おじさん」と書くことで予防線を張っていないだろうか。
さらに、
「国内で肌の色で差別を受けた経験はない」
「大坂が味わっているだろう深い悲しみや憤り、絶望感を想像できても、実感しているとは、とても言えない」
先回りして言い訳をしているように読める。「おじさん」だから大まかなこと言ったとしても許してねという。
これは「おじさん」の政治利用ではないか。おじさんの過大評価である。
私はつくづく痛感するのだけど、おじさんこそアップデートが必要だと思う。自分のラジオ番組等でも数年前から話してきた。
むしろ、私も不安だからこそ。
ひとつの例をあげる。
2018年に財務省セクハラ問題というのがあった。あの件は麻生太郎財務大臣のそのあとの発言もセットだった。「(セクハラ発言されて)嫌ならその場から帰ればいい」「財務省担当はみんな男にすればいい」などである。
私は麻生氏は批判に対してイライラしているようにもみえた。「昔からずっとそうだったのになぜ?」と。そんな麻生氏から学んだのは「変わろうとしないおじさんを見るのはキツい」という現実だった。
世のおじさんたちは私を含め、今までの人生での振る舞いが完璧かと言えばそうではないはずだ。自分では気づいていないけど誰かを傷つけた言葉や行為もあるだろう。大なり小なり皆後ろめたいことはあったたず。
なら、せめて「今日からは変わろう」と思うしかない。
もうおじさんだから昨日までと同じでいいと開き直るのか、せめて今日からは変わろうとするのか。おじさんアップデートの分岐点である。
これは私がアップデートできているという自信からではない。むしろ私も不安だからこそ杜撰さに敏感なのである。自分の問題として感じている。