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「なぜ球磨川は氾濫したのか?」
ランナーが問う現代土木の落とし穴。
text by
山田洋Hiroshi Yamada
photograph byYusuke Yoshida
posted2020/08/25 17:05
熊本豪雨で被害の大きかった八代市坂本地区で、ボランティア活動を続ける「チームドラゴン」の面々。
近代土木は国土を単一化してきた。
吉田さんのこの問いかけを伝えると、熊本大学熊本創生推進機構の田中尚人准教授は、少し間をおいて答えてくれた。
「例えば、豪雨などの自然現象は毎年起きています。それが人命や人の財産を奪うと災害と呼ばれます。昔に比べ、人間社会が守るべき財産は増え、必ずしも安全とは言えない場所にも、人々は暮らしています。そして地球レベルの気候変動により気象も激甚化し、災害も頻発している現状があります。
土木も技術を伴うエンジニアリングとして進化しています。私は,社会や暮らし方もアップデートしなければいけない時代がきたのではないか、と考えています。『現場百回』という言葉がありますが、土木技術者も吉田さんたちトレイルランナーのように自然の中に身を置かなければいけないのかもしれません」
田中准教授は、今回の事例だけでなく、2016年の熊本地震においても、阿蘇地域の大動脈であった国道と阿蘇大橋が崩落したものの、かつての豊後街道や古道、ミルクロードなど山側にあったかつての農道が代替路として活躍したことを指摘する。
「近代土木は全国的なインフラの単一化の歴史でもありました。でも、よくよく考えると地域それぞれに地形も気候も違うわけで、かつては土木にも地域性がありました。例えば、石橋や水制なんかがそうです。お地蔵さんが立っていることが、かつて災害があったというサインだったり、水害防備林には社があったりする。私はこれを『小さな土木』と呼んでいますが、無傷だったトレイル、迂回路として活躍した農道,林道など、土木的にローカルな資源を見直す機会なのだと思います」
球磨川はなぜ氾濫したのか。
被害の大きい地域でボランティア活動を続ける吉田さんには、もうひとつ疑問が浮かんでいた。「球磨川がなぜ、氾濫・決壊したのか?」。この問いにはどうしても「ダム」の問題がつきまとい、「いろいろな意見があるのは承知していますが」と前置きをした上で、吉田さんは言う。
「荒瀬ダムってご存知ですか? 発電目的としては熊本県内で最も古いダムだった荒瀬ダムはかつて坂本地区にあり、2018年に撤去されました。それは国内における初めての本格的なダム撤去事例としてニュースになったほどです」
坂本地区を含めた周辺住民は、以前から放水による振動被害やダムによって洪水被害が拡大していたのではないかと不信感を抱いていた。そこで2002年にダム撤去を求める請願を熊本県に提出し、長い年月をかけて撤去に至る。
「私たちがトレイルレースを開催するにあたって、私たち大会側が掲げた理念は4つあり、その中に『環境問題・自然保護への注意喚起』があります。今回の豪雨災害で、もし荒瀬ダムが残っていたら、その被害は今以上だったかもしれないと言う地元住民の方もいます」
もし荒瀬ダムが残っていたら、どうなっていたのか。この仮定の問いを考える際に判断材料となるのが、荒瀬ダム跡から10kmほど上流にある瀬戸石ダムだ。
「今回、瀬戸石ダムのすぐ下流にある瀬戸石地区と鎌瀬地区の被害が尋常ではないんです。ますます、ダムが洪水被害を引き起こしているのでは? との印象を強くしている地域住民の方もいる。トレイルが無傷だった事実も含めて、人工物が環境に与える影響について真剣に考えていかなければならないと思っています」
緊急放流の基準水位までわずか10センチに迫っていた市房ダムが、もし緊急放流していれば毎秒900トン程度の水が流れ込み、球磨川流域の被害がさらに拡大していた可能性もあったとも指摘されている。