Jをめぐる冒険BACK NUMBER
奥川雅也を覚醒させたドイツ2部と
CL。ドリブル+得点力を追い求め。
posted2020/08/14 18:05
text by
飯尾篤史Atsushi Iio
photograph by
Atsushi Iio
もともとドリブラーのイメージが強かった奥川だが、彼はどのタイミングで得点感覚を磨いたのか。そして同世代の鎌田大地らをどのように見ているのか。帰国中、「LP BASE虎ノ門」にて自主トレーニングに臨んでいた奥川に直撃インタビューすると、ドイツ2部での“開眼”などを語ってくれた。
セカンドチームでの2年間は……。
――4年間のレンタル移籍中は、ザルツブルクからは一度も「戻って来い」という話はなかったんですか?
「どうなんですかね? その辺は全部(代理人に)任せていたので。ただ、ホルシュタイン・キールでのシーズンが終わったあとは、監督から直接電話が掛かってきて、『絶対に戻ってこい』って言われたんです」
――ついに、ザルツブルクに戻れるぞ、と?
「いや、そのときは戻る気があまりなかったんです。ドイツのサッカーが良すぎて」
――ホルシュタイン・キールにいれば、もっと上手くなれそうだなと。
「でも、求められるのはサッカー選手として光栄なこと。それが、自分を最初に見つけてくれたチームからなら、なおさら。獲得してくれた恩返しを何もしてないので、ザルツブルクに戻って、やり遂げないといけないなって」
――2015年夏に京都サンガF.C.からザルツブルクに移籍し、すぐにオーストリア2部のリーフェリングに2シーズン期限付き移籍しました。リーフェリングはザルツブルクのセカンドチームだそうですね。
「そうなんです。そこで2シーズン。その2年間は一番苦労した時期ですね。オーストリアのサッカーを学ぶというか、ひたすら守備をしていました」
――なにせ京都時代は、守備を全然してなかったから(笑)。
「しかも、日本の守備と全然違うんですよ。日本では、1回下がって形を作ってからハメに行く、相手がミスするのを待つ、という感じですけど、オーストリアではひとりがボールに行ったら、次々に行けと。遅れても、取れなさそうでも行けと。でも、なかなか身に付かなくて。自分のプレーをする以前の問題で、そこにすべてを費やした2年でした。難しかったですけど、おかげで今は守備の意識を植え付けられたので、良かったですけど」