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「五輪一年延期」で関係者が感じたこと。
ホッケー・さくらジャパンが描く“リスタート”。
posted2020/08/17 11:00
text by
別府響(文藝春秋)Hibiki Beppu
photograph by
Hideki Sugiyama
「やっぱり、そうなるか――」
2020年3月24日。
テレビに流れた「東京五輪延期」の一報を目にした日本ホッケー協会事務局長の坂本幼樹の頭には、そんな感想が浮かんできたという。
「数週間前から新型コロナウイルスの影響で五輪が1年延期、2年延期、はては中止という話まで、様々に情報が錯綜していました。状況は理解していたものの、スタッフとしては長年準備してきたことがありますから、やっぱり『延期や中止は嫌だな』と思うと同時に、少なくとも普通に開催ができる雰囲気ではないことは感じていたんです。だから『1年延期』という報を最初に聞いた時も『あぁ、やっぱりな』という感じで、驚きはあまりなかったですね」
そう振り返る坂本だが、携わっていた大舞台が現実に靄の向こうに遠ざかっていくのを目の当たりにし、力が抜けていく自分を感じることもまた事実だった。
1年間の猶予という意味では、プラス面も。
外資系投資銀行で企業M&Aを手がけていた坂本がホッケー協会にやってきたのは、2018年のことだ。それまでの何不自由のない待遇をなげうって「面白そうだと思った」という門外漢だったスポーツの仕事に就くことを選んだ。周りや家族からは「不思議な目で見られましたよ(笑)」というように、思い切った転身ではあったが、それができたのも2年後の東京五輪の存在があってこそでもあった。
協会でマネジメント業務全般を担うなかで、特にスポンサーマーケティングを通じて、ホッケーという競技の地位向上とチームの待遇改善を目指してきた。
「身近な大舞台の準備はもちろんでしたけど、その後も含めて長期的に考えた時に日本のホッケー協会という組織が何を目指すのか。どんな風に自分たちにしかない価値を出していくのか――。そんなことを体系的に、具体化すべく取り組んできました。ホッケー競技の地位向上という意味でも2020年の東京五輪は、スタート地点になるべき大イベントだと思います。だからこそ、驚きはしなかったとは言えど、1年延期というのは色々な計画にズレが生じることになる大きな出来事なことに変わりはありませんでした」
ただ一方ですぐ、そんな感傷に浸る暇もないほどの忙しさに直面することになる。五輪延期という緊急事態に対応するため、次々とやるべきことが出てきていたからだ。
「計画していた国際親善試合や海外遠征、合宿のキャンセルや予定変更など、とにかくやることが山積みで……。すぐに無我夢中で走りださないとどうしようもない状態になってしまいました。意外と落ち込んでいる暇もなかったんですよね。着任してから五輪準備のために2年間という限られた期間しかなかったので、1年間の猶予ができたという意味では、プラス面もあると思うようになりました」