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井出遥也がヴェルディで必然の輝き。
2人の指導者が授けた緑のエッセンス。

posted2020/07/27 11:30

 
井出遥也がヴェルディで必然の輝き。2人の指導者が授けた緑のエッセンス。<Number Web> photograph by J.LEAGUE

ヴェルディ下部組織育ちではない井出遥也が、ヴェルディらしい技巧派として主力になっているのは興味深いところだ。

text by

海江田哲朗

海江田哲朗Tetsuro Kaieda

PROFILE

photograph by

J.LEAGUE

 どこにでもいそうな、チャラチャラした高校生のひとりだった。サイズは170センチそこそこで、身体つきはひょろひょろである。

 が、そのプレーは異彩を放っていた。特長的だったのは、ターンのスピードと身体のキレだ。ボールを止めたあと、見たこともない速さでギュンと旋回した。

 2010年の春、ジェフユナイテッド市原・千葉U-18のコーチに就任した菅澤大我。視線の先にあったのは、同ユース2年次の井出遥也である。菅澤はひと目見た瞬間、こいつはプロまで到達する選手だと直感した。

 かつて千葉のアカデミーは阿部勇樹や双子の佐藤勇人、佐藤寿人といった名選手を輩出してきたが、以降、精彩を欠く時期が長く続く。よく言えば気風がおおらかで、悪く言えば秩序や方針の欠如。アカデミーを立て直し、クラブの基盤を強化する。それが菅澤に課せられた使命だった。

「あの頃のハルは全然……」

 東京ヴェルディの前身である読売クラブ育ちの菅澤は、育成畑を長く歩んだ指導者だ。東京Vのアカデミーで森本貴幸、小林祐希、京都に移籍してからは久保裕也など、日本代表選手の育成に深く携わっている。現在は、なでしこリーグ2部・ちふれASエルフェン埼玉の監督を務める。

 菅澤は言う。

「あの頃のハル(井出)は全然本気でサッカーをやってなかったと思いますよ。自分の仕事は、チーム全体の戦術の枠組みのなかで、こういうふうに能力を発揮したほうがいいと、技術の生かし方をすり込んでいくことでした。そうすればピッチでより輝き、サッカーがもっと楽しく、面白くなるぞ、と」

 井出は言った。

「それまでの自分は感覚だけでやっていたようなもの。トップ(チーム)よりも細かい戦術のなかで各々の役割があり、立ち位置の重要性やそこで求められるプレーなど、サッカーの本質的なことを教わりました。大我さんと出会っていなければ、自分は間違いなくプロになれてないです」

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