フィギュアスケート、氷上の華BACK NUMBER
羽生結弦の実績、貢献は別格。
必然のISUアワード初代最優秀選手賞。
text by
田村明子Akiko Tamura
photograph byGetty Images
posted2020/07/15 11:50
怪我のため出場も危ぶまれた平昌五輪でも見事な演技を見せ優勝。五輪2大会連続金メダルという快挙を成し遂げた。
かつてフィギュアスケートは注目度が低かった。
筆者は1993年からフィギュアスケートの取材をはじめた。
伊藤みどりが引退したばかりの当時、日本でこのスポーツがマスコミで取り上げられることは、ほとんどなかった。
筆者が在住する北米でも、フィギュアスケートはスポーツの世界でまだまだ継子扱いされてきたといって良い。
スケートアメリカ、ドイツのネイションズカップなどの国際大会に取材に行っても、会場はガラガラ。客席は半分も埋まれば良い方だった。
プレスルームでは、日本人の記者は筆者のみ。時折、現地駐在の共同通信が顔を見せるくらいだった。
だがせっかく取材して記事を売り込みに行っても、日本の編集者たちは「フィギュアスケートですか……」と困惑した表情で、黙り込んでしまったものである。
別な次元に引っ張り上げた。
あれから27年。
気が付くと日本はフィギュアスケート大国になり、フィギュアスケートは日本でもっとも人気のあるスポーツの1つと言われるまでになった。
それはもちろん羽生が登場する前に、多くの先人たちが地道に努力を重ねて業績を積みあげて、日本の後輩への道を固めてきたということもある。
だが羽生結弦は、そこからさらにフィギュアスケートを別な次元に引っ張り上げた。
ソチオリンピックで金メダルを手にしてから、一度もそのタイトルに胡坐をかくことなく、次々と達成させていった記録と手にしたタイトル。
何度も大きな怪我と戦いながら、劇的な勝利を収めた平昌オリンピック。
世界中のファンにとってもスケート関係者にとっても、羽生は目を離すことのできない存在となった。