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鳥栖DF原輝綺、焦りからの解放。
「また違った自分を見せられそう」
posted2020/06/30 07:00
text by
安藤隆人Takahito Ando
photograph by
Takahito Ando
「パキン」と乾いた音と共に豊田スタジアムの空を見上げてから、7カ月の歳月が経とうとしている。
サガン鳥栖MF原輝綺は昨年の11月23日、J1第32節・アウェイの名古屋グランパス戦で、右足腓骨骨折と右足首の靭帯断裂という全治3カ月の大怪我を負った。
「正直、(今季の)シーズンが通常通りに進んでいたら、相当焦っていたと思うし、いろんな思いを抱えていたと思います」
J1リーグ再開を11日後に控えた6月23日、原のリモートインタビューを行った。
「1回目の怪我はもうショックというか、東京五輪も迫っていて、いろんなものが崩れ落ちるような音が聞こえました。でも、まだ『東京五輪にギリギリ間に合うはず』と信じてリハビリに取り組んでいました」
右足を庇ったことで……。
1回目――。名古屋戦で負った大怪我は、緊急手術と懸命なリハビリによって今年の1月末にはグラウンドでボールを蹴ることが出来るまで回復した。しかし、その矢先に逆足の左足首にも激痛が走ったのだ。
「リハビリをしていたら、どんどん左足首の辺が大きく腫れ上がってきて、急に痛みが走り出したんです。診断の結果、長腓骨筋(ふくらはぎから足先の外側にかけて通っている腱)の炎症。右足を庇ってしまい、変な走り方や、左足の着地をしてしまって左の長腓骨筋に余計な負荷をかけてしまっていました」
思わぬ形で「2回目」の怪我が襲いかかってきた。それはすなわち東京五輪に向けて限りなく“赤”に近い黄色信号が灯ったということでもある。それでも諦めたくなかった彼は、複数の病院を回って診断を受けた。だが、結果はどれも厳しいものだった。
「手術をしてちょうど2カ月経って、ここから1カ月で復帰に向けて(コンディションを)上げていこうという段階。僕も『やっと動ける』と思っていた時だったので突き落とされるくらいのショックを受けました。『また1からやり直しかよ』、『東京五輪はもう無理なんじゃないか』と思ってしまった。でも、まだ諦めきれなかった。このまま何もしないで東京五輪に出られなくなるのは嫌だったので、再び手術する決断を下しました」