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スポーツとリアリティショーの距離。
宇野常寛が語る“1億総テラハ社会”。
posted2020/06/21 11:30
text by
八木葱Negi Yagi
photograph by
Sports Graphic Number
プロレスラー木村花さんの死を端緒にはじまった議論が、今も続いている。
インターネットで他者を攻撃することも、それを煽って注目を得ようとすることも、どちらも間違いなく褒められる行為ではない。
しかしスポーツ界を振り返れば、ダイエー時代の王貞治監督への生卵事件、オリンピックでメダルを逃した選手への攻撃など、個人やチームを対象としたバッシングは常に傍にあった。海外ではサッカーW杯でオウンゴールしたコロンビアのエスコバル選手が銃殺される事件さえ起こっている。
もっと日常的なスタジアムでのブーイングやSNSでの戦犯探しを含めれば、スポーツ界がネガティブな感情をもファンの関心を集め続ける燃料として利用してきた側面は否定できない。
炎上したリアリティショーとスポーツの間に線は引けるのか、そもそもテレビの中の人間の振る舞いや勝敗に一喜一憂するとはどういうことなのか。
最新著『遅いインターネット』で「他人の物語」と「自分の物語」というキーワードで議論を組み立てている宇野常寛氏にお話を伺った。
――まずは「他人の物語」と「自分の物語」について教えてもらえますでしょうか。
宇野「映像技術と放送技術の発展した20世紀は人類がこれまでにないレベルでモニターの中の『他人の物語』に感情移入していた時代だったと言えます。スポーツ中継はその代表です。
それが21世紀に入ると、インターネットの登場でむしろ自分が体験したことを『自分の物語』として発信することのほうに人々の関心が傾いている。たとえば競技スポーツを『観る』ことよりもライフスタイルスポーツを『する』ことが、都市部の現役世代のアーリアアダプターであればあるほど支持されるわけです」
――ありがとうございます。ただスポーツのビッグイベントを追いかけている印象としては、ワールドカップやオリンピックのような国際イベントも、甲子園や箱根駅伝のような国内イベントも、その人気が右肩上がりで伸び続けているようにも見えます。
宇野「それは半分は自分が足を運ぶイベント、つまり『自分の物語』としての支持だと思います。プレイの内容やゲームの展開は二の次で、あの正月は彼女と沿道で応援したなという自分の物語のための素材として消費されているのだと思います。
ただ、『他人の物語』を提供するオールドメディアの側も現在の情報環境に適応してきたこともあるでしょうね。たとえば国内のテレビで言えば『お茶の間からハッシュタグへ』と言われる現象があります。要するに昔はお茶の間で家族と一緒に見られていたテレビが、今はハッシュタグを通じて世界中にいる同じものが好きな人と盛り上がるものになったわけです」