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藤沢和雄が積み重ねた1500勝。
「馬が最優先」の信念に武豊も感服。
text by
平松さとしSatoshi Hiramatsu
photograph bySatoshi Hiramatsu
posted2020/06/19 20:00
藤沢和雄師(左)と武豊。このコンビで04年の桜花賞をダンスインザムードで制した。(2019年撮影)
2001年の68勝は突出した記録。
常に馬を優先に考え、行動した結果、藤沢調教師は数々の偉大な足跡を残していった。1993年に自身初の最多勝利調教師賞を獲得すると1年置いた95年から2004年まで実に10年連続で同賞を受賞。以降も'06、'07、'09年とこれまでに計14回もリーディング首位の座についている。とくに'01年に挙げた年間68勝は、近代競馬では突出した記録である。
'17年にレイデオロで日本ダービーを制したのは記憶に新しいが、他にも3年連続の有馬記念制覇や6度の天皇賞(秋)の優勝、3度の安田記念に2度の桜花賞やジャパンCなど、数々のGIも制している。
元騎手が見たブリンカー改造秘話。
最後にもう1つ、彼が「馬の事を優先に考えた」結果の行動を紹介しておこう。
ブリンカーが申告制になる以前、藤沢調教師はレース当日の馬の雰囲気を見て、突然「やっぱりブリンカーを外そう」とスタッフに指示を出す事があった。古賀慎明調教師が藤沢厩舎で調教助手をしていた時代、そういう場面に何度も立ち会ったそうだ。当時、彼は言っていた。
「藤沢先生が馬のどこをみてそう感じたのかは分からないけど、先生の指示に従って急きょブリンカーを外した結果、その馬が勝ったなんていう事が何度もありました」
また、現在は調教助手となった橋本広喜元騎手も、藤沢厩舎に所属していた頃、似たようなシーンに出くわしたと語った。
「その時もレース当日、急に『ブリンカーを外そう』と言われたのですが、この頃は既に申告制になっていたため許可されませんでした。“特別な理由がない限りは外してはいけない”と言われたんです」
すると、伯楽は驚きの行動に出たと続ける。
「突然、ヤスリを持ってきて、ブリンカーを削り出しました。目を覆うカップの部分をなるべく薄いモノに改造し始めたんです」
普通なら許可が下りなかった時点で諦めるだろう。しかし、そこで諦めず「馬を優先に考え、行動する」のが藤沢和雄調教師なのだ。だからこそ、彼は1500回も勝つ事が出来たのである。