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藤沢和雄が積み重ねた1500勝。
「馬が最優先」の信念に武豊も感服。
text by
平松さとしSatoshi Hiramatsu
photograph bySatoshi Hiramatsu
posted2020/06/19 20:00
藤沢和雄師(左)と武豊。このコンビで04年の桜花賞をダンスインザムードで制した。(2019年撮影)
飼料や敷料、調教を次々と“改革”。
そんな慣習を変えるには、自分が調教師となって新しい風を吹かすしかないと思った。いや、若い時の藤沢氏がそこまで思ったかどうかは分からないが、1987年に調教師免許を取得すると、自分の経験を元に信念を貫いた。それが自然と“改革”と呼ばれる行動になった。
飼料や敷料、調教の内容もそれまでの日本の競馬界にはない方法を次々と取り入れた。飼い葉に関しては水を混ぜて与えるのがスタンダードだった中、そんな事はせず、栄養価を考慮したモノを与えた。追い切り日の後は消化をしやすいように蒸してから与えたのも、当時の日本には前例がなかったという。
敷料に関しても寝藁を干して再利用するのが当たり前だった時代に、使い捨ての麦カンを採用した。馬房ひとつをとってもそうだ。馬房と外との仕切りが馬栓棒と呼ばれる棒だったのが当然の中、若き藤沢調教師は自らのポケットマネーで引き戸タイプの前扉に改造した。
「馬栓棒だとそこから顔を出して左右に振る“フナ揺すり”という癖につながりかねません。フナ揺すりは前脚の蹄に悪影響が出る可能性があるからそれを封じようと思っただけですよ」
こう言うと、次のように続けた。
「馬を優先に、どうすれば良いかと考えたら自然と出て来た答えというだけで、何も特別な事を考えたわけではありませんよ」
2枚のラクダの皮を後肢に巻いて。
このセリフは伯楽の口から何度も耳にした。例えばこんな事もあった。後肢の内側が擦れ合う走りをする馬がいた時の話だ。
「乗馬用の靴によく使われるようにラクダの革は擦れるのに強いんだ」
そう言ってどこから入手したのか2枚のラクダの革を持ってきた藤沢調教師は、それにハサミで切れ目を入れた。のれん状というか、鯉のぼりの吹き流しのような形状にしたのだ。そして、それを馬の2本の後肢にそれぞれ巻くと、言った。
「ヒラヒラしてそれが脚に触れて気になるだろうから擦れ合わなくなるんじゃないかな……」
色々考えますね? と聞いた私に対し、この時も「馬を優先にどうすれば良いか考えれば自然と出て来ただけだよ」と答えてくれた。