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稲葉篤紀と宮本慎也の2000本安打。
「献身」で積み上げた18年の軌跡。
text by
鷲田康Yasushi Washida
photograph byL:Takahisi Shimizu/R:Naoya Sanuki
posted2020/06/16 11:30
稲葉が打った6日後、宮本も2000本安打に到達。奇しくも同じ1976試合目での偉業達成だった。野村克也から学んだ「献身」の姿勢が実を結んだ。
原辰徳が考えた「4番稲葉」
「稲葉の打撃は状況によって変化する」
'09年のWBCでサムライジャパンを率いた原辰徳は語っている。
「もちろん得点圏に走者がいればその走者を還すこともできる。状況に応じて右方向に引っ張ったり、必要なときにゴロを、犠牲フライが欲しいときにはきちっとフライが打てる。そういうチームに対する献身力みたいなものが彼の打撃にはあるんだ」
当初は3番にイチローを構想した原は、「4番に稲葉を置くから3番イチローが生きるはず」と、むしろ稲葉の打撃の幅によってオーダーを考えたところもあった。
結局、イチローの不振でこの構想は変更を余儀なくされたが、同大会の準決勝、米国戦では勝ち越しのきっかけとなる右前安打を放ち、韓国との決勝戦でも延長10回に送りバントを決めてイチローの決勝打を呼び込んだ。
「同じ匂いはするんです、稲葉は」
走者を還すだけでなく、つなぎのバッティングができる稲葉。つなぐだけでなく、還すバッティングもできる宮本。チームの勝利のために監督が求めるケースバッティングを事もなげにやってのける。そういう打撃に徹しながら2000本を打ったことが、この2人の記録の価値である。
「北京のときには稲葉とはそういう話はしてないですよ」
大記録まであと4本と迫った5月1日の横浜スタジアム。喧騒の中でジャパンのリーダーの系譜について宮本に聞くと「そう書きたいのは分かりますけどね」と笑ってこう言った。
「でも、同じ匂いはするんです、稲葉は」
宮本は説明する。
「若い時からずっと、勝つためにはどうするんだ、って育ってきましたからね。僕は守れたから試合に出られたと思っているけど、試合に出ていてバンドばかりしたいわけじゃない。だから配球とか色々なことを考えるようになった。そういうことがなかったら2000本という数字はなかったと思います」
稲葉は'04年のオフにメジャー移籍を目指しながら夢破れ、翌年2月に日本ハムへの移籍が決まった。
「メジャーに行きたかったけど、行かなくて正解だったんでしょう。ファイターズに入って年齢は上の方で、責任感が芽生えたのかもしれない。移籍した年はキャンプにも参加できなくて、大学の室内練習場を借りて、お世話になった花屋さんに打撃投手をしてもらって……」
そうした経験が、チームのために戦う価値を改めて心に強く植え付けた。