フランス・フットボール通信BACK NUMBER
取材拒否のペップがクライフ愛を激白!?
「監督で最も重要なこととは……」
text by
フィリップ・オクレールPhilippe Auclair
photograph byfrance football//L'Equipe
posted2020/06/08 20:00
『フランス・フットボール』誌に掲載された、グアルディオラの記事。取材拒否のポリシーを貫く名監督の貴重な記録。
サッカーは世界で最も難しいスポーツだ。
監督になりたいと思ったときには何度も彼に電話した。クライフに出会う前の私は、サッカーのことを何も知らなかった。少しは知った気になっていたが、彼と一緒に仕事をするようになって新しい世界が開けた。ヨハンは私たちがプレーを理解するのを助けてくれた。
サッカーは世界で最も難しいスポーツだ。なぜならオープンなスポーツで、すべての状況がひとつひとつ異なっていてひとつとして同じものはないからだ。そんな中で瞬間瞬間に判断していかねばならない。どうすれば正しい判断ができるかを彼が教えてくれた。
彼はふたつのクラブを大きく変えた。
サッカーの歴史の中で彼ほどの影響力を与えた人物は他にいない。
ひとつのクラブを変えただけではない。彼はふたつのクラブを大きく変えた。それも選手と監督の両方で。そんなことを成し遂げた人物を私は他に知らない。
OK、たしかにアヤックスがチャンピオンズカップに優勝(初優勝は1971年)したときの監督はリヌス・ミケルスだった。だが、選手はヨハンだ。
彼がバルセロナにやってきたとき、バルサはビッグクラブではあったが固有のサッカー文化を持ってはいなかった。アルゼンチン人の監督(セサルルイス・メノッティ)がアルゼンチンスタイルを植えつけ、続いてドイツ人監督(ウド・ラテック/グアルディオラの誤解でメノッティとラテックは順番が逆)がドイツスタイルを実践した。
その後、監督として復帰したヨハンはこう言った。
「君たち、もう分かっただろう。どうプレーすればいいかを」
絶大なカリスマ性と強固なパーソナリティ。
彼は何もないところから何かを作り出した。
それには絶大なカリスマ性と強固なパーソナリティが必要で、「君らはこうやれ」と言う彼の言葉に誰もが従ったのも、彼にはそのふたつがあったからだ。そこまでの人間はほとんど稀有と言っていい。
私がこれまでに出会ったコーチやマネジャーの中で彼は最も勇敢だった。