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松坂も清宮もいいけどあの世代も!
中年の星・福留孝介、韓国戦の一発。
text by
田口元義Genki Taguchi
photograph byNaoya Sanuki
posted2020/05/23 09:00
第1回WBCの準決勝。韓国に2連敗していた日本が、福留孝介の本塁打の後、相手投手が死球・暴投と乱れて一気に勝負を決めた。
実はWBC前に大幅な打撃フォーム改造に着手していた。
出場を決めたのは、アテネ五輪で長嶋茂雄(脳梗塞により、本大会では中畑清が監督代行を務めた)と共に戦っていて、この第1回WBCでは、指揮を執るのが王貞治だったからだ。プロ野球のレジェンドであるONの下でプレーする、貴重な経験を逃したくないと思ったのである。
侍ジャパン入りを承諾したとはいえ、福留は自身のパフォーマンスに懐疑的だった。
というのも、前年のシーズン終了後から「あそこまで思い切って変えたのは初めてかもしれない」と自己分析するくらい、大胆な打撃フォーム改造に着手していたからである。WBCへの出場を断念しようと考えたのも、そのためであった。
新たな「形」を体に染み込ませ、自分のものにするためには、相応の過程が不可欠となる。従来のシーズンであれば、春季キャンプでバットを振り込み、オープン戦などの実戦で感覚と反応を擦り合わせながらシーズンに突入し、仕上げていく。ところが、3月開催のWBCまでの実戦は少なく、思うような調整ができないことを福留は理解していた。
「自分のバッティングフォームが『どういう風になっているのか?』というのが、よくわからなかったんでね。最終確認する時間が少なかったんで苦労しました」
我慢に我慢を重ねた上でのホームラン。
準決勝の韓国戦まで、クリーンアップとして出場しながら19打数2安打。周囲から不振といった目を向けられはしたが、福留からすれば想定内だった。ひたすら「悪い部分」と向き合い、フォームを仕上げていたのだ。
そんな状態からようやく上昇曲線を描き始めたタイミングが、韓国戦だったのである。
大会で初めてベンチスタートとなった試合、福留の名がコールされたのは7回だった。
スコアは0-0。
1死二塁の先制のチャンスで、キム・ビョンヒョンの3球目ストレートを振り抜いた打球が、美しい放物線を描きながらライトスタンドに吸い込まれた。
低調なパフォーマンスを理解しながら我慢し、スタメン落ちの悔しさも味わった。この一発こそ、福留の意地だった。