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俊輔落選、中山・秋田選出から18年。
W杯の“ベテラン枠”論争に決着を。

posted2020/05/17 11:50

 
俊輔落選、中山・秋田選出から18年。W杯の“ベテラン枠”論争に決着を。<Number Web> photograph by AFLO

W杯で初めてゴールを決めた日本人である中山雅史は、2002年日韓W杯にサプライズ招集されチームに魂を吹き込んだのだ。

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戸塚啓

戸塚啓Kei Totsuka

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AFLO

 サッカーW杯のメンバー発表は、サプライズとセットのようなものだ。

 日本代表が初出場した1998年のフランスW杯では、カズこと三浦知良が直前でメンバーから漏れた。4年後の2002年日韓W杯でも、5月17日のメンバー発表が驚きをもたらした。

 中山雅史と秋田豊が選ばれたのである。

 W杯イヤー最初の活動となった1月のトレーニングキャンプには、ふたりとも招集された。2月と3月のトレーニングキャンプでも、フィリップ・トルシエ監督のもとで汗を流すふたりの姿があった。

 しかし、フランス人指揮官が「本番に向けた本当のウォームアップの始まり」と位置づけた3月下旬のテストマッチから、中山と秋田の名前はリストから消える。34歳のストライカーと31歳のセンターバックは、チームの中核を担ってきたわけではない。それだけに、この時点で彼らのメンバー入りはなくなったという判断が広がっていった。

「試合には出ない選手も2人か3人」

 トルシエ自身は、明確な基準を持っていた。

「日本代表は個人技の組み合わせで作るチームではない。タクティクスとテクニックに加え、集団として心理面でバランスが取れているチームであるべきという前提がある。スタメンで試合を始める選手、途中交代で試合を締めていく選手、そして試合には出ない選手が一緒になって、日本代表を作っていくわけだ。

 23人のメンバーはレギュラー格が15人で、特別なカードになるのが3、4人だ。それから、試合には出ない選手も2人か3人は入ることになるだろう。その2人か3人には、特別な精神力が必要になる」

 中山は日本代表への忠誠心が強い。スタメンでもサブでも全力を注ぎ、もっと言えばトレーニングからモチベーションを漲らせる。

 チームの闘争心に火をつける存在として、2001年のコンフェデレーションズ杯でも若い選手を盛り立てた。

 秋田は2001年7月のキリンカップで、控え選手として優勝に貢献している。同じサブメンバーだった中山とともに、年下の選手たちをまとめあげた。トルシエにとって中山と秋田は、「試合に出なくともチームを支えることのできる、特別な精神力が求められる選手」だったのである。

【次ページ】 名波や俊輔が背負ってきた10番を。

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