話が終わったらボールを蹴ろうBACK NUMBER
小野、高原、稲本を追う日々の終焉。
ドキュメンタリー番組の終わり方。
text by
佐藤俊Shun Sato
photograph byFuji Television
posted2020/04/29 11:55
小野、高原、稲本とともに写真に収まる能智氏。彼もまた黄金世代の「同志」の1人なのかもしれない。
「死ぬ前に作れて良かったという安堵感」
――今回は最終章ですが、彼らのサッカー人生はこれからも続きます。5年後、10年後、このつづきが見られる可能性はあるのでしょうか。
「3人のファンや日本サッカー界からすると、この先も見てみたいと思うんでしょうかね。だとしたら、嬉しいですね。でも、僕は番組を企画した時からこれが自分の最後の制作作品と決めて撮影をスタートして、5カ月間、沖縄と相模原に通って取材をやり尽くしたし、自分が納得する作品を最高のスタッフと作ることができた。今は死ぬ前に作れて良かったという安堵感で、もういいです(苦笑)。
可能性があるとすれば誰かが引退した時かなぁ。フジテレビでは放送枠が取れないので映画か、あるいはインターネット配信でより多くの人に見てもらいたいですね」
その笑顔からは、18年にわたる大河ドラマのような作品を作り終えたという充実感が見て取れる。何度も見ても飽きない作品の質の高さがそれを証明している。多くのテレビマンは、自分の代表作というものを作り出したいと思っている。この作品と言えば、この人だと、はっきりと顔と名前が浮かぶものだ。
何がなんでもサッカー番組を作りたかった。
――めぐる冒険は、能智さんにとってどういう作品になりましたか。
「増本の言葉を借りると『作品は名刺代わり』。テレビ界、スポーツ界での自分の名刺は『ワールドカップをめぐる冒険』を18年かけて作ったということになるんでしょうし、それなりに誇りに思っています。
若い頃、先輩に『俺はこういう番組を作ったけど、おまえは何を作ったのか』と聞かれて答えられなかったことがあったんです。ガツンと頭を殴られた感じでした。それを物差しとしてテレビマンをやってきて、今やっとという感じです。
この作品を後輩や同業者が見て、どう思っているのかなぁ。何がなんでもサッカーの番組を作って、サッカー文化の醸成に寄与したいという気持ちでフジテレビに入社して、今に到ったのですが、最近のテレビ界はサラリーマン化してしまったと感じています。後輩たちには番組作りを人生の生業としてテレビ局に入ったのなら、放送枠があるからとか予算があるからというのではなく、作りたいから作るというテレビマンの原点を見つめ直して欲しいですね。自分の名刺代わりの代表作品を作ってほしいなって思います」