松岡修造のパラリンピック一直線!BACK NUMBER
加納慎太郎が車いすフェンシングと
ヤフー入社までを松岡修造に語る。
text by
松岡修造Shuzo Matsuoka
photograph byNanae Suzuki
posted2020/05/05 08:00
車いすフェンシングの練習場での加納慎太郎。ヤフーで働くサラリーマンでもある。
「ちょっとやってみようとなったんです」
松岡「理事長自ら電話に出てくれたんですか。ある意味、それも運命ですね。でも、フェンシングはまったくの初心者。剣の持ち方も知らなかったわけですよね」
加納「まったく知らなかったです。その時、京都に車いすフェンシングの総本山のような練習拠点があったんですけど、住んでいた九州から出かけていって、そこで初めて剣を握って、マスクもつけました」
松岡「まさに今日の僕のような状態ですね。どうでしたか。初めてやってみた感想は?」
加納「行ったら、そこに選手が1人だけいて、ちょっとやってみようとなったんです。まさに松岡さんと同じ状況です。でも、僕はそこで勝てるぐらいに思っていたんですよ。なのに、そこでボコボコにされて」
松岡「当たり前ですよ。むしろ、なんで勝てると思ったか知りたいです」
加納「それはもちろん、剣道をやっていたから。でも、足を使えないし、剣の持ち方も違うし、攻撃権とかフェンシング独自のルールも存在する。いきなり攻撃してきて、怖いなって思いました」
松岡「やっぱり! 怖いんですよ。僕もさっき、そう思いましたから」
「体験した後、手がこう震えているんです」
加納「ただ、その一方で楽しいとも思えたんですね。体験した後、手がこう震えているんです。それは疲労とかではなくて、気持ちが高揚していたから。アドレナリンが出まくって、手が震えていた。そんな気持ちになれたのは久しぶりのことでした」
松岡「そこまで興奮できた。自分の道だと思えたわけですね。そこからどうしたんですか。1日体験では終わりたくないと思ったわけですよね」
加納「それで通い始めたんですよ。九州から京都まで」
松岡「へへへ。ヘンな笑いが出ちゃった。九州から京都へ。九州にも何かそういう練習拠点はなかったんですか」
加納「ないんですよ。車いすではなくて、立ってやるフェンシングの方はあったので、九州では義足を使って普通に立ったまま練習をして、2カ月に1度くらいは京都へ夜行バスで向かうという、そんな生活を3年くらい続けてました」