松岡修造のパラリンピック一直線!BACK NUMBER
車いすフェンシング・加納慎太郎に
松岡修造が「障がいの受容まで」を訊く。
posted2020/05/04 08:00
text by
松岡修造Shuzo Matsuoka
photograph by
Nanae Suzuki
松岡修造がパラアスリートと真剣に向き合い、その人生を掘り下げていく「松岡修造のパラリンピック一直線!」。第11回目のゲストは車いすフェンシングで東京パラリンピック出場を目指している加納慎太郎さん。
左足を失うことになった16歳のときのバイク事故。そのときの状況を松岡さんに訊かれ、静かに語り始めた。
最初は「ボート選手になろうと思った」。
松岡「バイクの事故で足を失ったのは、高校生の時だったと」
加納「僕が16歳の時でした。高校を中退して、若干道を外れた時で……」
松岡「差し支えなければ、どんな状況だったのか伺っても良いですか」
加納「元々は剣道をやりたくて高校に入ったんですけど、それを辞めて、違うことに挑戦しようと思ったんです。具体的に言うと、ボート選手になろうと思った。お金が稼げると聞いていたし、体が小柄なのも逆に有利に働くと聞いたので。そのためにまずお金を貯めようと思って、働き始めて。そのバイトの帰り道に事故に遭ったんです」
松岡「乗っていたのは原付バイクですか」
加納「いや、400ccの単車です。誰かとぶつかったわけではなくて、単独で。1人で転けちゃって」
松岡「スピードの出し過ぎですか」
加納「いや、法定速度内でした。ちゃんとヘルメットも被っていたんですけど、運転が下手くそだったんでしょうね。スリップして、転倒して、立ち上がろうとしたら立ち上がれなくて。よく見ると足がバイクに挟まって、そこから骨のようなものが出てました」
松岡「その時はまだ手術をすれば治るだろうと」
加納「そうですね。そんな感覚でした。でも、立ち上がれなくて、どんどん下が血の海になっていくし、実際は皮膚一枚で足がつながっていた状態だったんです。すぐに周りにいた人が駆けつけてくれて、救急車を呼んでくれました」