松岡修造のパラリンピック一直線!BACK NUMBER
加納慎太郎が車いすフェンシングと
ヤフー入社までを松岡修造に語る。
posted2020/05/05 08:00
text by
松岡修造Shuzo Matsuoka
photograph by
Nanae Suzuki
松岡修造がパラアスリートと真剣に向き合い、その人生を掘り下げていく「松岡修造のパラリンピック一直線!」。第11回目のゲストは車いすフェンシングで東京パラリンピック出場を目指している加納慎太郎さん。
義足を作る専門学校に通っているときに2020年の東京開催が決定し、「自分も何かに挑戦してみたい」と思ったと言う。
健常者と一緒に剣道をしていて、そこそこ戦えていたがパラ競技に剣道はない。そこで剣を使う競技を探し、フェンシングにたどり着いたのだ。
「僕は東京パラリンピックに出たい」と電話で伝える。
加納「車いすフェンシングで2020年の東京パラリンピックを目指すために、まず協会に電話したんです」
松岡「自ら。じゃあ、僕がその時の協会役をやりますね。電話がかかってきた。まず『どうしたの?』って聞くと思います」
加納「車いすフェンシングのHPを見ましたと。そして、僕は東京パラリンピックに出たいと思ってます。そう伝えました」
松岡「いきなり宣言した。よく協会の方もそれをまともに聞いてくれましたね」
加納「ハハハハ。そうですよね。ちょっとヘンな人が電話してきたのかと思ったって、後で言われました。でも、自分の中では少しでも可能性があるなら挑戦したい。純粋な気持ちだけでした」
松岡「協会の方は当然、質問したでしょ。フェンシング歴はどれくらいあるんですかって。どう答えたんですか」
加納「ありませんと(笑)。そうしたら、『とりあえず体験してみますか』って言ってもらえて。それが現在も車いすフェンシング協会の理事長を務めている小松眞一さんでした」