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車いすフェンシング・加納慎太郎に
松岡修造が「障がいの受容まで」を訊く。 

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松岡修造

松岡修造Shuzo Matsuoka

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photograph byNanae Suzuki

posted2020/05/04 08:00

車いすフェンシング・加納慎太郎に松岡修造が「障がいの受容まで」を訊く。<Number Web> photograph by Nanae Suzuki

屋内練習場でのランニングで汗を流す加納慎太郎。剣道からフェンシングへ転身の理由は……。

「この競技は義足を外すから意味がないじゃないですか」

加納「で、学校に入って、50足くらい試したんですけど、最終的には自分が履き慣れたのが一番良いという結論にたどり着いて……」

松岡「遠回りしましたね(笑)。結局、元に戻った」

加納「そうなんです。その途中で、東京パラリンピックが決まったんです」

松岡「義足を作る専門学校に通っているときに、2020年の東京開催が決まった。先達の太田雄貴さんがガッツポーズをしましたね。そのシーンを見て」

加納「自分も何かに挑戦してみたい。そう思いました。今、僕は健常者と一緒に剣道をしていて、そこそこ戦えている。もしパラリンピックに剣道があれば最強じゃないかと。でも、パラ競技に剣道はない。剣を使う競技を探していくと、フェンシングがあったんです」

松岡「そこでようやくフェンシングと出会うわけですね」

加納「その時点ではもう、障がい者としての自分を受容しているんですけど、自分がそうやってリハビリが上手くできているのは、剣の道が導いてくれたからだと思えた。フェンシングもその延長線上にあると思えたんです」

松岡「今、そうとう格好良いことを言いましたよ。剣の道が導いてくれたって。でも、僕から見るとですよ、せっかく義足の勉強をしたのに、この競技は義足を外すから意味がないじゃないですか」

加納「ハハハ。それは学校の先生たちからも言われました」

松岡「お前、なんでフェンシングなんだと。これまで義足について学んできたのに、義足を使わない競技じゃないかと。そうなりますよ」

加納「でも、それはそれとして、勉強したことは決して無駄ではないと思っているので。いつか役立てたい気持ちはあります」

松岡「学校に通って、また剣道を始めて、そしてフェンシングと出会うわけですからね、剣の道に導かれていると僕も思います。その道はどうつながっていくんですか」

(構成:小堀隆司)

  *本取材は緊急事態宣言が出る以前に済ませたものとなります。

加納慎太郎(かのう・しんたろう)

1985年3月2日、福岡県生まれ。小学生のときに父の影響で剣道を始める。16歳の時にバイク事故で左足を切断。事故後も義足をつけて剣道を続けていたが、2013年、28歳のときに東京2020の開催が決定。パラ競技にはない剣道から、パラ競技種目であるフェンシングに転向することを決意し、練習を始める。'16年ヤフーに入社。SR推進統括本部スポーツ事業推進室に在籍しながら、東京パラリンピックを目指している。

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