松岡修造のパラリンピック一直線!BACK NUMBER
車いすフェンシング・加納慎太郎に
松岡修造が「障がいの受容まで」を訊く。
text by
松岡修造Shuzo Matsuoka
photograph byNanae Suzuki
posted2020/05/04 08:00
屋内練習場でのランニングで汗を流す加納慎太郎。剣道からフェンシングへ転身の理由は……。
「1週間後にはもう、病院内で車いすレースを」
松岡「すぐに手術をしたんですね」
加納「はい。麻酔を打たれて、医者には『壊死するかもしれない』とその場で言われました。切断した方が良いと言われて」
松岡「いきなりですか!」
加納「いや、そういう説明を両親が受けていたみたいです。僕はまだ16歳で未成年だったし、麻酔を打たれて意識が朦朧としてましたから。後で聞いた話によると、両親は足をつなげて欲しいと懇願したみたいで、それでいったんつなげたそうですけど、やっぱり壊死は避けられず。その2、3日後にまた手術を受けて、左足を切断するに至りました」
松岡「まだ高校生の年齢ですよね。僕は同じような体験をした方に2人ほど話を聞いたことがあるんですけど、若いからかなかなか立ち直れなかったって。慎太郎さんはどうでしたか?」
加納「僕はけっこう立ち直りが早くて、1週間後にはもう、病院内で車いすレースをしてましたね」
松岡「(あ然として)どうしてですか。失礼な言い方だけど、そこはちゃんと落ち込んだ方が良いと思うんですけど」
加納「すごく落ち込んではいたんですけど、両親や周りの人を心配させたくないというのもあったんです。元気を装っているところも多少はあって、障がいをちゃんと受容するまではやはり10年くらいかかったと思います」
松岡「10年ですか!」
加納「本当に障がいを自分の中で受容するまではそれくらいかかりましたね」
「次の日からいきなり障がい者って言われる」
松岡「障がいを負って、まず負の要素として思うことはどんなことでしたか」
加納「一番は、2月3日に事故を起こしたんですけど、その日まではまったく普通で、次の日からいきなり障がい者って言われるんです。今まではフツーに高校に通っていたのに、その16歳の2月4日からはまるで違うように言われてしまう。それが僕はすごく嫌で、素直に受け入れられなかったです」