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伊藤華英「私は5年かかりました」
今こそ選手と社会人の両立を。
text by
伊藤華英Hanae Ito
photograph byAFLO
posted2020/04/16 11:40
東京オリンピック延期という大きなアクシデントにどう対応するかこそが、スポーツの本来的な価値を証明することになるのだ。
引退から“社会人”になるのに5年かかった。
一般的には27歳という年齢はまだまだ若くて、社会人で言えば仕事が楽しくなってやりがいを感じる時期だろうか。社会の中で生きる方法を少しずつ理解してきている年代だろう。
私の場合どうしても引退してからやりたいことがあり、それが勉強だった。自分がアスリートとしてやってきたことのエビデンスが必要だと感じたのだ。
なので現役を引退してから大学院に入り、修士、博士と5年間勉強した。その中で、ピラティスのインストラクターの資格も取った。つまり、競技生活を終えてから社会で生きていくための準備に5年かかったことになる。
アスリートの先輩の中には引退して素早く存在感を示している方もいたが、5年以上かけて大きなことを準備する人もいるだろう。ともあれ、社会の中で生きていくためには「アスリートだった」という要素だけでは、ほとんどの場合不十分だと感じていた。
私は16歳から11年間を日本代表選手として過ごしたが、引退してからの人生はもっと長い。そして、全てを競技に費やしてきた時間を無駄にしない人生を歩みたいと考えていた。
引退したら戦いは終わると思っていた。
私は現役の時、アスリートを引退したら「戦いが終わる」と思っていた。しかし実際に引退して大学院に通っている時に、「戦いは続いている」と感じるようになった。そして、沢山の方に支えられて競技を続けていたことが、改めて心にしみわたった。現在「セカンドキャリア」という言葉はずいぶん浸透したが、日本スポーツ振興センターなどは、「デュアルキャリア」という考え方を重要視するようになってきている。
これからの時代を生きるアスリートは、競技者としての人生を歩みながら、社会を生きる「人」としての人生を止めないことが大切、という考え方だ。そのためにはアスリート自身の意識に加えて、環境整備や支援が必要だと言われている。
私自身は完全に引退してから「次」を探すセカンドキャリア型だったが、いま現役の選手たちはデュアルキャリア型に考え方がシフトしてきているので多くの選手は、引退後の生活を頭の片隅に置いて競技をしているだろう。ベテランになればなるほど、その形やスケジュールをはっきり思い描いていたはずだ。