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聖光学院高校野球部はいまも練習中。
斎藤智也監督が語る「自粛」の形。 

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田口元義

田口元義Genki Taguchi

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photograph byGenki Taguchi

posted2020/04/02 19:00

聖光学院高校野球部はいまも練習中。斎藤智也監督が語る「自粛」の形。<Number Web> photograph by Genki Taguchi

練習を指揮する斎藤智也監督。信念の人である。

2011年は「使命感しかなかった」。

 ――2011年の東日本大震災、福島第一原発事故という難局と向き合った立場だからこそ、言えることがあるのではないか?

 斎藤が、表情を変えずに即答する。

「震災の年は使命感しかなかったよね。直接的な被災だから。たくさんの死者が出て、家をなくした人、福島を離れざるを得なくなった人たちをいっぱい見てきたから。本気で『野球なんてやっていいのか?』とか、いろんなことを考えさせられた。

 その上で『自分たちはどんなメッセージを伝えられるのか?』ってことに命を燃やしたような、大きな使命を託されたような気持だったね」

 三陸沖を襲った、マグニチュード9.0の大地震。聖光学院の所在地である福島県伊達市も、震度6弱の記録的な揺れを観測した。「日本が沈没するんじゃないかと思った」と、斎藤は回想していたことがあったが、それ以上に彼らを悩ませたのが原発事故だった。

 福島原発1号機がメルトダウンを起こし、水素爆発したことで放射性物質が飛散。不運にもこの時、風向きが伊達市のある北西だったことで、事態はより深刻化。寮生を地元へ帰し、地元生はボランティアに従事させる期間が2週間ほど続いたが、再び部員が集まってからも活動はままならなかった。

 そう、風評被害である。

 春季県大会と東北大会が即座に中止となったことはいい。ただ、震災前から組んでいた聖光学院のグラウンドでの練習試合が、全てキャンセルとなってしまった。

 奇しくもこの年は、「プロ注目」の好投手、歳内宏明を擁するなど戦力が高く、「甲子園で優勝できるかもしれない」と見立てる記者も多かったくらいだ。そのチームが、ほぼ機能停止に陥ったのだから大打撃である。

「震災を言い訳にはできねぇぞ!」

 斎藤が、当時の苦悩を紡ぐ。

「放射線量が高い福島に来てくれる高校なんてどこもない。こっちから他県に行くとしても『放射能を持ち込まれる』とか、それこそ風評に翻弄された部分もあったしね。結局、対外試合ができたのは、ゴールデンウィークの北海道遠征からだから。

 そんな状況でチームを作っていく。非常に難しかったけど、俺たちは夏の大会ができるって信じていたから。『震災を言い訳にはできねぇぞ!』って、そういう戦いに挑んでいったような気がするね。一切の言い訳を排除する。『夏に出るのは聖光学院だ。甲子園という大きな舞台でメッセージを発信するのは俺たちだ!』ってね」

 被災した強豪校。全国制覇も現実味を帯びるチームのもとには取材が殺到した。斎藤は「勘弁してくれ……」と、辟易する瞬間があったと本音を漏らしていたが、「メッセージを発信する使者だ」と天命を自覚している以上、誠意をもって対応した。

 その一方で、選手たちには「必要以上のことは話さなくていい」と伝えていた。

「チームの代弁者は監督の俺だけで十分だ。お前らに多くの言葉はいらない。大きな行動で示すことが大事なんだぞ」

【次ページ】 どこまでも謙虚で潔いチームだった。

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