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1000号記念、Number編集長座談会(上)
「江夏の21球」と清原和博の涙。
posted2020/03/28 11:45
text by
NumberWeb編集部Sports Graphic Number Web
photograph by
Sports Graphic Number
これを記念し、編集長経験者3人による座談会を開催しました。印象に残る特集やアスリートについて、秘蔵エピソードを明かします。
全3回の初回では、創刊の裏話やNumberがお世話になってきた執筆者の思い出などについて語りました。
<出席者>
松尾秀助 自らの発案によりNumberが創刊され、1980年代に第2代編集長を務めた。
井上進一郎 1990年代に第7代編集長としてサッカー日本代表W杯初出場などを報じた。
河野一郎 第10代編集長。学生時代から愛読し2000年代にWBC優勝号などを手掛けた。
井上「『Sports Graphic Number』(以下、Number)は松尾さんの発案で創刊されたことは文藝春秋社内ではよく知られていますが、具体的にはどのような経緯だったのでしょうか?」
松尾「1978年にフルブライト留学生でアメリカに行かせてもらったのですが、当時はカーター大統領の時代。ベトナムに戦争で負けて、心理的な転換点だった。そういった状況のアメリカで健康ブーム、スポーツブームが起きていたんですね。
もともと日本にいるときから『Sports Illustrated』(米スポーツ誌『スポーツ イラストレイテッド』、以下、スポイラ)は読んでいたのですが、アメリカであらためて『こんな雑誌を日本でも出せたら面白そうだ』と思った。
翌年、日本に帰ってきて、ちょうど新雑誌の募集が社内であったので、企画を出したところ、採用されたんです」
江夏、具志堅、青木の「Number1」ポーズ。
河野「自分がまだ学生のころにNumberは創刊されたのですが、その宣伝用のポスターがとても印象に残っています。江夏豊さん、具志堅用高さん、青木功さんが上半身裸で人差し指を立てて『Number1』のポーズをとっていた。
当時はスポーツ選手のポートレート写真は珍しく、その目新しさとかっこよさに衝撃を受けました。
自分が編集長だった創刊25周年のときは、そのポスターへのオマージュとしてイチローさんが同じく上半身裸で表紙の撮影に応じてくれました。今回の1000号でも、イチローさんはスーツ姿で同じ『Number1』のポーズをしてくれていますね」