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1000号記念、Number編集長座談会(下)
離婚、水着、家……珍企画と信頼関係。
posted2020/03/28 11:55
text by
NumberWeb編集部Sports Graphic Number Web
photograph by
Sports Graphic Number
<出席者>
松尾秀助 自らの発案によりNumberが創刊され、1980年代に第2代編集長を務めた。
井上進一郎 1990年代に第7代編集長としてサッカー日本代表W杯初出場などを報じた。
河野一郎 第10代編集長。学生時代から愛読し2000年代にWBC優勝号などを手掛けた。
井上「昔はずいぶん変わった特集も組んでいましたよね。『石原裕次郎と加山雄三』(250号 1990年8月20日)とかやっていた」
河野「別冊の特別号だとネコ特集(『ネコと友達物語』1986年7月15日)とか『さよなら国鉄』(1987年4月7日)とかもありました」
井上「私が編集長だった時代は、サッカーという“売れ線”があった。そうなると、それに縛られてしまう面がありました。初期のころは売れない号はたしかにあったと思いますが、その分いろんなことをやって、楽しそうな感じはありますよね(笑)」
建設中の江川の家をヘリから空撮。
松尾「売れたか売れなかったか忘れたけど、『結婚・離婚・再婚』(58号 1982年8月20日)という特集も組んだことがありますね。取材をしていて、結構面白かった。青木功さんや落合博満さんは早く結婚して、離婚して、再婚して、その後、うまく行った。結婚というのはスポーツ選手にとって、いつするか、誰とするか、ということはすごく大事、というコンセプトでやって、うまくはまったかもしれない。
『江川卓・28歳にして家を建てる』(78号 1983年6月20日)という号も作ったな。江川さんがちょうど家を建てているときで、まだ屋根がなかったから、そこに立ってもらってヘリコプターで行って空撮した。
この号では他の選手の家も紹介したけど、印象的だったのは阪急の山田久志さん。彼が六甲の山の上に家を建てたんです。阪急に入ったときの家はかなり海岸に近かったのが、だんだん給料が上がって行くにつれ、家が高いところに上がっていくんですよ(笑)。最後は、六甲山の『そこから上は家を建てられません』というところまで上がって、そこに豪邸を建てた」