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1000号記念、Number編集長座談会(上)
「江夏の21球」と清原和博の涙。
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posted2020/03/28 11:45
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「江夏の21球」が掲載された創刊号(左)と清原が泣いた日本シリーズを特集した183号。
病床の山際さんと語ったこと。
井上「取材手法の斬新さもあり、『江夏の21球』はスポーツノンフィクションの新たな地平を開きましたね。山際さんも一躍有名になりました」
松尾「その後、NHKのサタデースポーツやサンデースポーツなどのキャスターにもなりましたから。ただ、そんなときに胃がんになってしまった……。
最初にお見舞いに行ったときには『ハワイでヨットの取材が入っていたんだけど、僕行けないから松尾さん行ってよ』なんて言って、とても元気そうだった。それでたしかに一度は仕事の現場に戻ってきた。やせたな、という感じはあったけど。
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でもしばらくして、また入院してしまった。ある時『山際さんが危ない』と連絡があって、病院に駆けつけると奥さんもいて、『耳は聞こえているはずだから、話をしてください』と言われて、僕が一方的に創刊のときの話なんかをしたりした。それから1日か2日ぐらいで亡くなりました……。
まぁ、本当に惜しいことをしたと思います。彼は小説も書き始めていたから、そちらの方面で大きな仕事をしたかもしれない」
村上龍、村上春樹……バラエティに富んだ執筆陣。
井上「振り返れば、山際さんに限らず、村上龍さん、村上春樹さん、海老沢泰久さん、沢木耕太郎さんなど、本当にバラエティに富んだ筆者に書いてもらってきました」
松尾「沢木さんとはロサンゼルス五輪の取材のために、現地で一緒に一軒家を借りて合宿しましたね。
記憶に残っているのは、陸上女子3000mの金メダル候補だったアメリカのメアリー・デッカーが、先頭を走っていたゾーラ・バッド(南アフリカ)に足をひっかけられて倒れて棄権してしまうんだよね。バットもそのショックと場内からの凄まじいブーイングでトップから落ちていって、結局7位だった。現場で見ていて最も印象深かったです」