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絵になる男・四位洋文の引退式。
GIを15勝、「次は調教師として」。 

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島田明宏

島田明宏Akihiro Shimada

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photograph byKyodo News

posted2020/03/02 18:30

絵になる男・四位洋文の引退式。GIを15勝、「次は調教師として」。<Number Web> photograph by Kyodo News

四位洋文とウオッカが勝った2007年の日本ダービー。この直線は今見ても目が釘付けになる。

1991年デビュー、同期には藤田伸二。

 四位洋文は、1972年11月30日、鹿児島県で生まれた。

 '91年に古川平厩舎の所属騎手としてデビュー。同期には藤田伸二、日吉正和、橋本広喜、郷原洋司らがいる。

 初年度は10勝、2年目は24勝、3年目は27勝。同期の藤田などと比べると、それほど勝ち鞍は多くなかった。が、当時から騎乗技術の高さには定評があった。Number1994年5月26日号で、筆者が司会をつとめた武豊と藤田の対談の一部を以下に引用する。

藤田「豊さんは当然うまいけど、僕と同期の四位(洋文騎手)ってヤツもうまいんですよ」

「すごく綺麗なフォームやな」

藤田「競馬学校の実技でも、アイツはうまかった。僕も真似しようかな、と思ってずっと注目してるんです。最近はさらに磨きがかかっている」

「今、アイツ、ベストテンに入ってるよな。そのへんが成績に出てるんやろ」

藤田「ファンの人たちにも是非、注目してほしい騎手ですよね」

 あの藤田がここまでほかの騎手を褒めたのは、筆者の知る限りでは、これが初めてのことだった。

どこでも、目を惹く男だった。

 四位が初めて重賞を制するのは、その対談が行われたのと同じ’94年3月の4歳牝馬特別だった。デビュー4年目のその年、四位は56勝を挙げ、以降、リーディング上位の常連となる。

 それに先立ち、彼は、幕内力士の琴の若が表紙となったNumber’93年10月5日号の“スポーツにおける「いい男」の研究。”でも紹介されている。

 そう、馬に乗っても下りても、まずビジュアルで目を惹き、それに成績が追いついてきたのだ。

【次ページ】 ダービー連覇、しかも牡馬と牝馬で。

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