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絵になる男・四位洋文の引退式。
GIを15勝、「次は調教師として」。

posted2020/03/02 18:30

 
絵になる男・四位洋文の引退式。GIを15勝、「次は調教師として」。<Number Web> photograph by Kyodo News

四位洋文とウオッカが勝った2007年の日本ダービー。この直線は今見ても目が釘付けになる。

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島田明宏

島田明宏Akihiro Shimada

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Kyodo News

 誰よりも綺麗なフォームで、意のままに騎乗馬を操り、数々のビッグレースを制覇した。クールで、スマートで、絵になる、素晴らしいジョッキーだった。

 日本ダービーを連覇するなどJRA通算1586勝を挙げた名手・四位洋文(47)が、騎手を引退した。2月29日(土)、新型コロナウイルスの影響で戦後初の「無観客競馬」となった阪神競馬場で引退セレモニーが行われ、29年の騎手生活に幕を下ろした。騎手引退後は調教師となり、順調なら来年3月に「四位厩舎」を開業する。

 騎手生活最後の日となった2月29日は第3、5、8、9、10、12レースの6鞍に騎乗。観客のいない場内に蹄音と鞭の音、そして実況アナウンスだけが響く異様な雰囲気のなか、第3レースで最後の勝利を挙げた。オーナーは不在だったが、騎手仲間がウイナーズサークルに集まり、ともに口取り写真におさまった。しかし、第5レースでは、追い込んで3着となるも、直線で斜行し騎乗停止処分に。その後は、7、7、11着と勝てず、ラストライドとなった最終12レースも7着。全レース終了後、小雨が降りつづくなか、100人ほどの関係者が見守る引退セレモニーで壇上に立った。

「デビュー当初は、これほど長く騎手をつづけられるとは思っていませんでした。(ターフビジョンで流れた自身のキャリアをまとめた映像を見て)あらためて、たくさんのいい馬に出会えたことを再確認しました。そして、たくさんの仲間たちに恵まれて、幸せな騎手人生だったと思います」

「今日でぼくは騎手を引退します」

 JRAからは、3月以降、観客を入れた競馬を再開してから引退セレモニーをしてはどうかという申し出もあったというが、本人の意向で、この日に行われることになった。

「本来ならば、ファンのみなさんの前でご挨拶すべきだったのですが、(自分の騎手としての最後の日である)29日を区切りにしたくて、わがままを言わせていただきました。今日でぼくは騎手を引退します。次は、調教師として、このウイナーズサークルに帰って来られるよう頑張ります。ファンのいない競馬場は寂しいです。一日も早く本来の姿に戻ることを願っています」

 そう話した四位は、騎手仲間に胴上げされ、気持ちよさそうに宙に舞った。

 今後は千田輝彦厩舎の技術調教師として、馬づくりと厩舎経営のノウハウを学び、開業に備える。まずは日本を代表する伯楽が統率する、美浦・藤沢和雄厩舎で研修することになっている。

【次ページ】 1991年デビュー、同期には藤田伸二。

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