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竹下佳江率いる姫路、残留かけ決戦へ。
「痛い思いもして、きっと強くなる」 

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米虫紀子

米虫紀子Noriko Yonemushi

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photograph byNoriko Yonemushi

posted2020/02/21 20:00

竹下佳江率いる姫路、残留かけ決戦へ。「痛い思いもして、きっと強くなる」<Number Web> photograph by Noriko Yonemushi

V・チャレンジマッチ(入替戦)で姫路は群馬銀行と対戦。V1生き残りをかけて戦う。

チームの核を任された堀込奈央。

 日本の司令塔を長く務めた竹下監督が考えるチームの核は、やはりセッターである。今リーグでその重責を任されたのは、入団1年目の堀込奈央だった。

 竹下監督とJTマーヴェラスや北京五輪で共にプレーした河合がV1昇格を置き土産に引退したあと、6月のサマーリーグなどでは1年目の櫻井美樹が正セッターを務めた。しかし今リーグの開幕前、櫻井が怪我を負ったため、それまで二枚替えなどで出場していた堀込が、たった1人で司令塔の重責を担うことになった。

 開幕前、堀込は、「ずっと心臓がバクバクしてます」と顔を引きつらせていた。

「プレッシャーはあります。やっぱりセッターが1人しかいないので、自分がどうしたらチームを勝たせられるかというのをすごく考えて。今まで培ってきた技量では足りなくて、特にミドルブロッカーを使うことに関しては、今までミドル主体のチームでやっていなかったというのもあって、使い方やトスの質などが課題です。

 最近、『高校とか大学の時ってどうやってバレーしてたかな?』となるぐらい、いろんなことを取り込みすぎてキャパオーバーで、頭がワーッとなってます。テンさん(竹下監督)には、『自分が今まで培ってきたものプラス、必要なものだけ取り入れればいい』と言われるんですけど、どれも新鮮すぎて全部取り入れちゃうんです」

高校三冠も、一時はバレーを離れた。

 堀込は金蘭会高校3年の時、司令塔としてチームを高校三冠(インターハイ、国体、春高バレー)に導いた。当時は主将も務めており、そのたたずまいはまさにコートの中の小さな監督。記者に囲まれても物怖じすることなく、クリクリした瞳で相手の目をまっすぐに見ながら、ハキハキと答える様子が強く印象に残っている。

 高校卒業後は龍谷大学に進学。卒業後にバレーボールを続けるつもりはなく、3年時にはオーストラリアに語学留学し、1年間バレーから離れた。しかし帰国後、龍谷大の江藤直美監督に、「こんなのあるよ」とヴィクトリーナ姫路のトライアウトの案内を見せられた。

「身長(158㎝)のこともあるし、性格的にダラダラ続けたくはなかったので、バレーを続けるということにこだわりはなかったんです。でも姫路は新しいチームで、その年からVリーグに参戦するということで、どういうチームなのかなって興味がわきました」

 堀込はトライアウトを受け、入団が決まった。昨年、内定選手としてチームに合流してまもない頃、こう話していた。

「私がバレーを始めたのは、アテネ五輪を見たのがきっかけ。その時のセッターがテンさんで、身長がちっちゃくてもバレーはできるということを一番教えてもらった、ずっと励みになっていた選手。その憧れの人がいるところでバレーができるのはすごく幸せなこと」

【次ページ】 「自分の武器を作るように」

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