オリンピック4位という人生BACK NUMBER
大林素子は"戦犯"の名を背負った。
<オリンピック4位という人生(6)>
posted2020/02/23 11:40
text by
鈴木忠平Tadahira Suzuki
photograph by
PHOTO KISHIMOTO
競技を終えた夜、大林素子はレトルトのカレーを温めていた。誰に合わせる顔もなく、そうして選手村の部屋にこもっていた。32年前、ソウルの記憶である。
自身にとっても、日本女子バレーボール界にとっても、間違いなく大きな分岐点となったオリンピックだった。
「世界の流れが変わってきたタイミングでした。先進国が力を入れ始め、プロリーグができ、そこで日本はメダルが途切れてしまった……。エースだった私の責務は一番大きいです。私が決めていればメダルでしたから。十字架は自分ひとりで背負っているつもりです。私が犯人ですから――」
そう言う大林は笑みを浮かべていた。いつものやわらかな笑みだ。髪にはゆったりとウェーブがかかっている。
宝塚が好きで自らも歌って踊る舞台女優で、お笑いも好きで芸人たちとよく飲み、酒や恋の失敗談もあけすけに語ることができる。画面や写真で見る大林はいつも幸せそうだ。それは赤白のユニホームに身を包んでいるころからそうだった。五輪3大会連続でエースを背負った人は後にも先にもいない。それでいて眩い実績からくる重々しさや刺々しさを感じさせない。だから、この人は芯から陽性なのだと映っていた。
ただ、よくよく近くで目をこらすと笑顔の根っこに巨大なコンプレックスがある。「私が犯人です」と、自らを刺すに至るまでの、劣等感との闘いの痕が見えるのだ。
ソ連戦、タイムアウトの場面。
1988年9月20日。
ソウル郊外・漢陽大学体育館。
日本はグループ初戦をソ連と戦っていた。世界を引っ張ってきた両雄の激突はフルセットへ。大林の記憶にあるのは15-16の土壇場で取ったタイムアウトの場面だ。