オリンピック4位という人生BACK NUMBER
長崎宏子の涙は尽きたのか。
<オリンピック4位という人生(5)>
text by
鈴木忠平Tadahira Suzuki
photograph byJMPA
posted2020/02/09 11:40
ロサンゼルス五輪200m平泳ぎの予選を通過するも下を向く長崎宏子。決勝に進出したが4位に終わった。
「心が強くなかった自分への悔しさ」
矛盾ではない。水の中で子供たちと笑っているのも、今、目の前で泣いているのも真実の長崎宏子だ。おそらく彼女はずっとこうやって、あの日と闘ってきたのだ。
「やっぱり、今もロスのことを思い出すと泣けてきますね……。あの日、一生分の涙を流したと思ったんですけどね……」
涙のわけを探す。51歳の告白。
「なんだろう、やはり悔し涙でしょうね……。今の選手を見て、今の自分の精神力で当時の体力があれば私は金メダリストになれたな、なれると思うことがよくあるんです。そういう悔しさですかね。当時、心が強くなかった自分への悔しさというか」
ソウルの水に潜水し、黄金をつかんだ青年に手放しで拍手を贈れない自分がいた。
バルセロナの陽光の下で、幸せですと笑った少女をどこかで妬む自分がいた。
彼女が歩いてきた道を思えば当然だろう。
「メダルへの思いですか? ありますよ。今も夢に出てきます。またトライしている夢です。プールに飛び込もうとするのに飛び込めないとか、私は準備万端なのにプールにいったらレースが終わっていたとか、年に5回くらいは見ます。うん……、すべてロサンゼルスの夢です」
矛盾ではない。ただ水を好きなだけでいいと訴えるのも、もう一度あのスタート台に立とうとするのも、長崎なのだ。おそらく彼女の傷から涙が止まることはないだろう。そうやって生きていくことは、わずか16歳ですベてを背負い、あの舞台に立った人間の宿命なのだろう。いまだ透明性と少女性、それにともなう儚さを感じさせるこの人を見ていると、そう思わざるをえない。