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サッカー王国静岡、苦悩の20年史。
長谷部誠や内田篤人を輩出の一方で。
text by
原山裕平Yuhei Harayama
photograph byAFLO
posted2020/01/23 08:00
藤枝東時代の長谷部誠。ちなみに10番を背負ったのは成岡翔という豪華な陣容だった。
川口、名波、澤登、伊東輝、小野。
'90年代も静岡の時代は続いた。'93年度は川口能活を擁する清水商が三度目の日本一となり、'95年度には静岡学園が初の頂点に立っている。'80年代と比べれば勢いに陰りは見えたが、それでも優勝2回、ベスト4は2回、ベスト8も2回と優勝候補の常連であることに変わりなかった。
結果だけでなく、輩出したタレントも豪華絢爛だ。'80年代は清水東の三羽烏(堀池巧、長谷川健太、大榎克己)をはじめ、東海大一のアデミール・サントス、澤登正朗。清水商からは藤田俊哉、名波浩、山田隆裕など、多くの選手が後に日本代表に名を連ねるようになる。
'90年代にも「静岡のマラドーナ」と呼ばれた伊東輝悦(東海大一)、清水商の川口と小野伸二。そして小野と同学年では清水東の高原直泰と、日本を代表するタレントたちが数多く生み出されている。
ちなみに1998年のフランスワールドカップの日本代表メンバー22人のうち、10人が静岡の高校出身者だったことからも隆盛がわかる。
才能が枯渇したわけではなかった。
もっとも2000年代に入ると、静岡県勢の凋落が叫ばれるようになる。
その原因のひとつに、タレントの分散が挙げられるだろう。プロを目指す逸材は部活ではなく、清水エスパルスやジュビロ磐田の下部組織を選択するケースが増えた。
またリーグ戦の整備など、全国的に育成年代の強化・底上げが図られたことも大きい。あるいは独自メソッドを掲げる革新的な指導者が増えてきたこともあるだろう。全国各地にサッカーの強豪校が生み出され、もはや静岡のサッカーは特別なものではなくなったのだ。選手権では2007年度の藤枝東の準優勝が最高成績。優勝は一度もなかった。
それでも静岡の高校にタレントが枯渇したわけではない。
2000年代には藤枝東から長谷部誠、清水東からは内田篤人という稀代のプレーヤーが輩出されている。他にも長谷部と同学年ならびに近い世代なら菊地直哉(清水商)、成岡翔、大井健太郎(ともに藤枝東)、矢野貴章(浜名)、鈴木啓太(東海大翔洋)など。内田の同年代であれば水野晃樹(清水商)、山田大記(藤枝東)らが静岡県の高校出身者だ。